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2023.06.30
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充実度が高まるマウスの飼育ミッション ~解析結果のデータベースも公開~

有人宇宙技術部門きぼう利用センター 研究開発員
岡田理沙
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「きぼう」に設置された小動物飼育装置は、人工的に重力を発生させることができる装置です。これを用いることにより、国際宇宙ステーション(ISS)の微小重力下と人工重力下のマウスの状態を比較して、微小重力の影響を詳しく調べることができます。この装置を利用する研究への支援体制も、ミッションを重ねるごとに充実しています。さらに、過去の飼育ミッションで得られたデータも逐次公開され、研究者は自由に利用することができます。「きぼう」の利用者として微小重力が生体に及ぼす影響の研究に取り組み、現在はきぼう利用センターの一員として「きぼう」の利用推進に力を注ぐ岡田理沙研究開発員に、ご自身の研究、そして、マウスの飼育ミッションの現在についてお聞きしました。

宇宙でのマウス飼育で筋萎縮のトリガーとなる遺伝子を発見

Q:ご自身のマウスの筋萎縮の研究では、「きぼう」の飼育装置を利用されました。この飼育装置はどのような特徴を持つのでしょうか?

岡田:従来、国際宇宙ステーション(ISS)でマウスを飼育する研究では、地上で飼育したマウスを比較対照にして、ISSの微小重力の影響が調べられてきました。しかし、ISS内のマウスは、微小重力の他に、打ち上げ時の衝撃や宇宙空間を飛び交う放射線の影響も受けます。そのため、地上のマウスとの間に何らかの違いがあっても、それが微小重力の影響によるものなのか、他の影響によるものなのかはっきりしませんでした。

そこでJAXAでは、宇宙でマウスを飼育することができる小動物飼育装置(Mouse Habitat Unit 以下、MHU)を開発しました。さらにこの装置と細胞培養装置(CBEF)等と組み合わせて、回転による遠心力で重力を生み出すことができる全体システムMARS(Multiple Artificial-gravity Research System)を実現しました(図1)。このシステムにより、微小重力環境と、地上と同じ1G環境を宇宙で同時に実現できるので、重力環境の差によってマウスにどのような違いがあらわれるのかを正確に調べられるようになりました。(以下、このシステムを「MHU/MARS」と記します)

可変人工重力研究システム(Multiple Artificial-gravity Research System: MARS)
図1:MARSの外観とマウスの飼育ケージ

Q:MHU/MARSの利用により明らかになった、筋萎縮の研究成果について紹介してください。

岡田:宇宙飛行士が長期間、宇宙に滞在すると筋肉が衰えることが知られています。寝たきりなどで高齢者に見られる筋肉の衰えが急速に進んでいるように例えられ、地上に暮らす私たちの加齢に伴う変化のモデルになると考えられています。宇宙で筋萎縮が起こるメカニズムが明らかになれば、宇宙飛行士の健康維持にとどまらず、地上で筋肉の衰えを抑える予防・先制医療にも役立つと期待されます。そこで私たちは、MHU/MARSを利用して2016年に初めて行った飼育ミッション(MHU-1)のマウスを詳しく解析することにより、人工1Gの負荷で、筋重量の減少と筋線維タイプや遺伝子発現の変化が抑制されることを世界で初めて明らかにしました。さらに、網羅的解析から、これまで筋萎縮に関与することが知られていなかった、新しい遺伝子も発見しました。

Q:飼育ミッションでは、マウスが地球に戻ってから、詳しい解析が行われると聞いています。地上に戻って解析が始まるまでの間にどのくらいの時間があるのですか?

岡田:実際のところ「きぼう」で飼育されたマウスが地球に戻ってきても、すぐに解析が始められるわけではありません。そのため、地球の1Gの影響を可能な限り抑えることを目的に、帰還後速やかに解析できるよう各専門分野の先生方と連携しサンプリング体制を準備しました。MHU-1が実施された当時、私は筑波大学医学医療系の高橋智教授の研究室に在籍していて、この研究には「きぼう」の利用者として参加しました。きぼう利用センターの支援により、帰還後速やかに解析を実施できたのですが、それでも地球に戻ってきて約2日間1G環境下に晒されるかたちとなりました。この間に、地上の1G環境に適応する可能性があり、得られた解析結果にはマウスの筋肉が増強する際に発現誘導する遺伝子が含まれている可能性を否定できませんでした。そのため、微小重力での既知の筋委縮関連遺伝子の発現変動が、帰還したマウスで維持されていることを確認しました。また、萎縮した筋肉に高いレベルで発現しており、筋委縮に関わると思われる未知の候補遺伝子を、地上で飼育するマウスに導入し、1G環境でも筋萎縮が起こるかどうかを調べました。

筋肉の衰えを抑える薬剤開発にも役立てられる!?

Q:遺伝子の導入はどのように行われたのでしょうか?

岡田:筋萎縮に関わると思われる候補遺伝子を、アデノウイルスベクターを用いて導入しました。この手法で候補遺伝子を持ったウイルスベクターと筋肉由来の培養細胞を、マウスの筋肉組織に投与し、過剰発現させた結果、Cacng1という遺伝子が高発現すると筋繊維の萎縮が起こったため、このCacng1が筋萎縮のトリガーとなる遺伝子であることが確かめられました。当該遺伝子単独の導入で筋委縮が誘導されていますから、この遺伝子の増加は地上に戻ってきてから2日間のタイムラグによる発現量の上昇ではなく、微小重力下で起こり、筋委縮を誘導した可能性が示唆されます。宇宙の飼育ミッションから得られたデータから候補遺伝子を見出し、その作用を実証することができました。

Q:筋萎縮に関連するものとして、アトロジーンという遺伝子群が報告されています。そのアトロジーンと、今回発見されたCacng1はどのように違うのでしょうか?

岡田:アトロジーンに分類されている遺伝子群は、筋萎縮が起こっているときに発現変動する遺伝子と定義され、筋萎縮の原因になる遺伝子もあれば、筋萎縮が起こった結果として発現する遺伝子も含まれています。これに対して今回見出したCacng1は、この遺伝子だけを発現させることにより筋萎縮が起こりました。それ故、Cacng1は、筋萎縮のトリガーとなる遺伝子だと言えるのです。

Q:この研究成果は、今後、どのように役立てられるのでしょうか?

岡田:微小重力下では筋萎縮が起こる一方で、人工重力の1G環境で飼育されたマウスの筋肉では萎縮が認められず、地上で飼育しているマウスと大きな違いはありませんでした(図2)。ということは、地上で加わる重力と同じような負荷をかければ、微小重力下で筋肉の衰えを抑えられることになります。どのように負荷を加えるかは研究課題となりますが、今回の成果は宇宙飛行士の筋力を維持するのに役立てられると期待しています。また、筋力維持に必要な負荷の大きさがわかれば、寝たきりなどによる筋肉の衰えを予防する医療にも、貢献ができると考えています。

また、Cacng1を標的とした薬剤開発も期待できると思います。Cacng1の働きを阻害することで筋萎縮を抑えるようなことができるかもしれません。そのためには、Cacng1と筋萎縮の関係をより詳しく明らかにしなければなりません。さらに、選択的にCacng1を阻害する薬剤を開発する必要もありますから、Cacng1を標的にして筋力を維持するような薬が実現するのはずいぶん先の話になるでしょう。とはいえ、今回の研究で宇宙のデータから薬剤開発の標的となり得る遺伝子が見つかったことの意味は小さくないと思います。今後もさまざまな臓器や組織等で、微小重力に応答して発現が変化する遺伝子が見つけられていくでしょう。それが何らかの病気に関わるなら薬剤開発の標的となり、地上の医療に還元できる可能性があります。

図2:地上と国際宇宙ステーションの1G重力下、微小重力下で過ごしたマウスのヒラメ筋(マウス後肢骨格筋の1つ)の比較 Ⓒ筑波大学
※Bは、ヒラメ筋横断面の組織解析。赤紫色部分が筋線維。微小重力下では筋線維断面積が減少している。
※Cは、免疫組織学的解析によるヒラメ筋筋線維タイプの分布。青-タイプⅠ、赤-タイプⅡa、黒-タイプⅡx、緑-タイプⅡb。微小重力下ではタイプⅡbの筋線維が増加し、筋線維タイプの構成が変化している。(筑波大学プレスリリースより

Q:筑波大学の研究者として「きぼう」を利用された後、現在は「きぼう」を利用する外部の研究者を支援されています。日々の活動でどのようなことを心がけていますか?

岡田:「きぼう」での飼育ミッションにはさまざまな制約があり、研究者の要望のすべてを聞き入れることは難しいかもしれません。それでも研究者の要望をしっかりお聞きし、可能な限り要望を反映させて、「きぼう」を利用した研究の質を高めていきたいと常々考えています。その際、できること、できないことをはっきりとお伝えすることが重要だと思っています。

「きぼう」で飼育されたマウスの遺伝子発現をデータベースで公開

Q:研究者からの要望のうち、聞き入れることが難しいのはどのようなことですか?

岡田:時間的な要望を実現することはなかなか難しいですね。私が研究者として関わった筋萎縮の研究でも、ISSから帰還したマウスを解析できたのは、地上に戻ってから2日後でした。ですから、帰還したらすぐに解析を始めたいという要望のハードルは、かなり高いと言わざるを得ません。再現性の観点から、繰り返して飼育ミッションを行いたいという要望をいただくこともあります。地上のように、容易に繰り返すことができないため、学術論文としてまとめるうえでは再現性が課題となります。さらに、限られた研究者の方しか実施できないことも、若手の研究者の方々が活躍する際のハードルとなります。そこで、東北大学とJAXA共同で「宇宙生命科学統合バイオバンク」(Integrated Biobank for Space Life Science 以下、ibSLS)というデータベースを整備しました(図3)。

図3:ibSLSトップページ (引用:ibSLS

Q:そのデータベースは、どのようなものですか?

岡田:マウスの飼育ミッションは、外部の研究者から提案された研究テーマを採択して実施されますが、「きぼう」で飼育したマウスの網羅的解析を実施いただくことが多く、さまざまな遺伝子の発現変動が明らかになります。そこで、より多くの方にこれらの貴重なデータをご活用いただきたく、網羅的に解析した遺伝子発現のデータを、ibSLSを通じて簡易に検索できるようにすることにしました。このデータベースにより、例えば、興味のある遺伝子が宇宙で変動していることがわかるため、飼育ミッションのデータを用いた新たな研究が始まる足掛かりになることを期待しています。

先ほどお話した通り、「きぼう」では同じテーマで複数回飼育ミッションを行うことが難しいため、再現性の指摘を受けることがあります。しかし、別のミッションで解析された遺伝子発現がデータベース化されていれば、それを用いることで、再現性を担保できるケースもあると思われます。

Q:ibSLSは、どのように利用できるのでしょうか?

岡田:ibSLSでは、「きぼう」で飼育したマウスの遺伝子発現のデータを公開しています。ibSLSのウェブサイトで、遺伝子名を入力していただければ、過去の飼育ミッションで明らかになった組織ごとまたはマウス遺伝子型・環境グループごとの遺伝子発現変動を簡易に閲覧することができます(図4)。現在は遺伝子発現に加えて、血漿中の代謝物の情報も公開しています。

現在、第1回飼育ミッション(MHU-1)および第3回飼育ミッション(MHU-3)のデータを公開していますが、飼育ミッションが回を重ね、今後より多くのデータを蓄積していく予定です。その先には、人工知能などの情報技術を用いてデータを解析し、新たな知見を見出すような研究が現れるのではないかと期待しています。

図4:ibSLSで遺伝子を検索したときに表示される情報の一部。この例では、Cacng1を検索した(引用:ibSLS

Q:まとめとして、これから「きぼう」を利用するかもしれない利用者に、メッセージをお願いします。

岡田:マウスの飼育であれば他の宇宙機関のモジュールでも行われてきましたが、重力を発生させて重力以外の条件をそろえて比較ができるのは「きぼう」にあるMHU/MARSだけです。このことをご存知でも、利用できる機会が限られているため、研究テーマ募集への応募のハードルが高いと感じたり、応募されても実現まで至らない方もいらっしゃると思います。お話したように、ibSLSを通じて過去の飼育ミッションの解析結果も公開されていますから、宇宙での飼育ミッションに携わるハードルも小さくなりつつあります。私たちも全力でサポートさせていただきますので、是非、温めていた研究プランをご提案ください。お待ちしています!

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プロフィール

岡田理沙(おかだ・りさ)
JAXAきぼう利用センター 研究開発員

2015年、筑波大学人間総合科学研究科生命システム医学専攻を修了し、博士(医学)を取得。2015年から3年間、筑波大学解剖学発生学研究室でポスドク、助教としてMHU-1骨格筋を用いた研究に従事。2018年、現職である宇宙航空研究開発機構(JAXA)きぼう利用センター研究開発員として、MARSを利用した小動物飼育ミッションに従事。

※特に断りのない限り、画像クレジットは©JAXA