宇宙飛行士が宇宙の微小重力環境に滞在すると、姿勢の維持や移動に力が必要ないため、筋力が衰えるということは多くの方が聞いたことがあるのではないでしょうか。また、筋力低下への対策として、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する宇宙飛行士は、毎日2時間あまり筋力トレーニングを行うということをご存じの方もいるでしょう。
微小重力環境では筋や骨にかかる力が減るので筋力や骨量が減る、ということはとても分かりやすい話に思えますが、実はよりミクロのレベルで、細胞の一つ一つが重力を感知し、そのふるまいを変えていることが分かってきています。
人や動物の体を構成する細胞はどのように重力を感知しているのか。「きぼう」日本実験棟での宇宙実験を通して、この謎に20年以上にわたり取り組んでいる、曽我部正博先生にお話を伺いました。
「人の心・意識」への関心から、生物物理学研究の道へ
Q:先生は生物物理学をご専門としています。この領域に進まれたきっかけは何ですか。
曽我部:私はもともと、心や意識と脳の関係に興味をもっていました。誰もが感じる疑問だと思いますが、神経細胞の塊である脳という特殊な構造を持つ物理的実体から、どうやって心や意識が生まれるのか?これを研究したいと思い、脳研究者になるつもりで大阪大学基礎工学部の生物工学科という当時できたばかりの学科に進学したのです。
脳の働きは神経細胞の間を行き来する電気信号で支えられています。ですので脳のことを分子レベルから物理学的に理解するには、その出発点は電気信号を産み出す機能単位である神経細胞(ニューロン)になります。その電気信号が、神経回路によるさまざまな処理を経て生体にとって意味のある情報を生成し意識や心が生まれる、その一連のメカニズムを知りたいと思いました。電気信号を産み出す実体として「イオンチャネル」という仮想の分子が提唱されていましたが、当時(1973年)は全くの謎でした。そこで、単刀直入にその分子実体を探ることを私の最初の研究テーマにしました。現在もそうかもしれませんが、当時の生物工学科では、学生が自由に研究テーマを決めることもできたのです。
諸先輩の助けを借りながら手探りで研究を進めるうちに、その候補としてイノシトールリン脂質という分子に巡り合い、これが聴覚を担う内耳で機械信号を電気信号に変換するチャネルに関与することが分かりました。これが私と機械受容チャネルの最初の出会いで、45年も前のことです。
Q:さまざまな感覚刺激にチャネルが反応することで電気信号が発生するわけですね。
曽我部:聴覚を担う内耳や触覚を担う皮膚の機械感覚器の細胞に機械受容チャネルがあるのは不思議ではありませんが、研究を進めるうちに、あらゆる細胞に力の刺激を感知する「機械受容チャネル」があることが分かり、これは生命活動に必要不可欠な極めて重要な分子ではないかと考えるようになりました。そこで、細胞が力を感じることを視覚や聴覚になぞらえて「細胞力覚」と名づけ、科学技術振興機構(JST)から大型の研究資金を得て、細胞が力の刺激を感知する仕組みを探る「細胞力覚プロジェクト」を2000年からスタートしたのです。
その後、組織の中で重なり合った細胞は、細胞同士が押したり引いたりする力を感知し、増殖するか分化するかという細胞の運命を決めていることが分かってきました。細胞の増殖分化という基本的な機能が機械的な力を通して制御されているのです。細胞が異常に増殖するがんの発症には細胞力覚の破綻が関係しています。その仕組みの解明は、機械刺激を介した新しいがん治療法の可能性を秘めており、現在我々を含めた世界中の研究グループが精力的に研究を進めています。
Q:「細胞力覚」の研究はどう宇宙と結びついたのですか。
曽我部:「細胞力覚プロジェクト」を進める中で、当時JAXAの「宇宙環境利用に関する地上研究公募制度」という宇宙実験の前段階の研究を支援するプログラムがあることを知りました。また、過去の宇宙実験で細胞の形や免疫力が変化したという報告があり、宇宙の微小重力環境が細胞に何らかの変化を起こす、つまり細胞は微小重力を感知しているではないかと考えました。
細胞力覚プロジェクトでは宇宙や重力のことはあまり意識していませんでしたが、ひょっとすると細胞の重力感知の解明に多少とも貢献できるのではないかと思って応募したところ、採択されたのです。その後複数の地上公募課題に参画する中で、JAXAや宇宙生物学の研究者とのネットワークができて現在の「Cell Gravisensing」に繋がりました。この地上研究公募制度がなければ、私の研究が宇宙と関係することはなかったと思います。この素晴らしい制度は終了しましたが、ぜひ復活していただきたいと願っています。
宇宙で筋力が低下するのはなぜか? 〜重力が細胞へ及ぼす、思わぬ影響
Q:細胞が重力を感知するとは、どういうことですか。
曽我部:まず、重力の作用を二つの視点で考える必要があります。一つは体重(重さ)というマクロな力が、骨や筋などの組織を構成する細胞に外側から負荷され、その力を細胞が感知するというマクロなレベルです。もう一つは、細胞の外ではなく、細胞の中に存在する何らかの質量体(オルガネラと予想)を介して生まれる極めて小さな重量を細胞が感じているというミクロなレベルです。この二つの重力作用は独立した起源に発することに注意してください。
私たちは、このミクロレベルの重力の感知に注目してきました。核やミトコンドリアなどのオルガネラ(細胞内小器官)に重力がかかると、それと相互作用する細胞骨格(例えばアクトミオシン線維の束であるストレス線維)の張力が上昇し、細胞膜の表面にある機械受容チャネルを活性化させ、カルシウムイオンが細胞内に流入するという仮説を立てました(細胞重力感知説、図1)。この考えの元になったのは重力とは関係なく行った地上実験です。細胞膜や細胞膜上の機械受容チャネルに連結しているストレス線維を人工的に引っ張って張力を上昇させると機械受容チャネルが開いて細胞内にカルシウムイオンが流入することを発見したのです。
Q:細胞の中に、張力、つまり重さを感じる仕組みがあることが分かったのですね。
曽我部:そうです。ですが、オルガネラは細胞質の中に浮いていてその浮力を受けているので、それが実効的な重量刺激になるには、比重が1.0以上でかつ大きな質量のオルガネラでなければいけません。その候補としては核やミトコンドリアが最も有力です。試しに、ミトコンドリアの総体が生じる重量を計算してみると、0.1pN(ピコニュートン)というとてつもなく小さな力しか生まれないことが分かりました。これほど小さな力は、通常であれば熱のノイズの中でかき消されてしまい、信号にもなりません。細胞がこのようなごく微小な力を感知しているかもしれないということに格別な面白さを感じました。その仕組みはまだ謎ですが、おそらくオルガネラ間の揺らぎで生じる動的な相互作用から生まれる力の変化を感じる新奇なメカニズムがあるのではないかと予想しています。
また、体重による重さとは独立に一つ一つの細胞自体が重力を感じているとしたら、それは重力が我々の体にこれまでには思ってもみない影響を与えているかもしれないということです。地上での寝たきりや宇宙滞在によって起こる筋萎縮は筋を使わないから組織が衰えると解釈されているので、宇宙に行くと1日何時間もトレーニングをしますが、筋力の低下を完全には防げません。この筋力低下の背後には、個々の細胞の重力感知/応答が隠れているのかもしれません。この仕組みが分かれば、生物学や医学にとって革命的な知見になる可能性があります。さらに、未だに謎である筋萎縮や骨粗しょう症の解明と治療に向けた新たな糸口になる可能性があります。
難関を乗り越え、宇宙でライフサイエンス実験の環境を構築
Q:「きぼう」を利用しようと考えた理由・決め手は何でしたか。
曽我部:地上でクリノスタットという擬似的な微小重力環境を発生させる装置で細胞の反応を調べたところ、重力が個々の細胞の細胞骨格(ストレス線維)構造に影響する証拠が得られました。培養細胞を用いたこれまでの宇宙実験の観察結果と合わせて、一つ一つの細胞が重力を感知することに確信をもち、細胞の重力感知の仕組みに関する仮説を立てました(図1を参照)。これを直接証明するためには、「きぼう」を利用した宇宙実験しかないと考えたのです。
Q:先生は「きぼう」で2014年のCell Mechanosensingと2021年のCell Gravisensingの二つ、宇宙実験に取り組まれていますね。
曽我部:Cell Mechanosensing実験を進める中で、いくつかの解決すべき課題が浮かび上がりました。ISSには地上の最新型のPCや顕微鏡があるわけではないので設備面での性能の問題がありましたし、私たちの経験のなさもありました。
例えば、いざISS内で顕微鏡観察をすると、細胞が付着している細胞容器の底にうまく焦点が合わないのです。地上では顕微鏡のステージに標本を置くだけでよいのですが、微小重力下では単純に置くということができず宇宙飛行士が容器を固定しなければなりません。その固定した容器がステージの水平面からわずかでも傾いていると焦点が合わないのです。またISSから地上への顕微鏡画像の転送に非常に時間がかかり、傾きの修正をするだけでも大変な苦労でした。さらには観察途上でPCやプログラムがフリーズすることが多々あり、地上実験室で怒号が飛び交うほどでした。
試行錯誤の末、「きぼう」船内で目的の細胞を一定期間培養できることが分かり、また蛍光顕微鏡による細胞やオルガネラの動態のライブイメージングや回収した固定標本の遺伝子発現の変化も観察できましたが、科学的に信頼できる定量的なデータはわずかしか取得できませんでした。そこで私たちはJAXAとも相談し、Cell Mechanosensing実験で挙がった技術的課題を全て解決してよりよいデータを取得するために二つ目となるCell Gravisensing実験をすることにしたのです。
Q:一定のデータは取得できたものの、満足のいく成果ではなかったのですね。
曽我部:このままでは終われないと思い、二つ目のCell Gravisensingでは実験環境の徹底的な改善に取り組みました。培養細胞を健全に保つには一定時間ごとに培養液の交換が必要です。Cell Mechanosensing実験ではこの作業は密閉容器を用いた宇宙飛行士の手作業であり失敗も少なくありませんでした。これをすべて自動化して宇宙飛行士の労力を省くことで実験時間の余裕もでき、培養装置内(チャンバー)の顕微鏡ステージへの固定も改良されました。顕微鏡の解像度不足については、軌道上で生きた細胞組織を観察できる共焦点ライブイメージングシステム(COSMIC)が新たに開発され(図3)、「きぼう」に設置されました。さらに、地上への画像転送速度とPCソフトの安定性も全面改良されました。
宇宙では対流が起こらないので培養容器の温度は地上のように均一になりません。Cell Gravisensing で用いた細胞は人体に近い37℃くらいでないと機能を発揮しませんから、繊細な温度管理が必須です。センサーをたくさん付けてチャンバー内の温度分布を測定するとともに複雑な計算機シミュレーションを行って、その結果を基にチャンバーに複数の微小ヒータを取り付けることで最適な温度制御ができるようになりました。
誰もやったことのない実験ですから、何もかもが手探りです。そうした中でも、JAXA職員の方々は極めて誠実かつ精確にサポートしてくださいました。おかげで、Cell Mechanosensingでの技術的課題はCell Gravisensingの実験の第一回(Run1)でほぼ解決できました。
ただいまデータ解析中! 世界初の知見がもたらされる期待も
Q:Cell Gravisensingでは、どのように細胞を観察しているのですか。
曽我部:地上で細胞の応答性などを調べる際には、顕微鏡で見ながら細胞に機械刺激を与えますが(図4)、ISSでさまざまなミッションをこなしている宇宙飛行士に手間や時間がかかるその操作をお願いするのには無理がありました。
今回の実験では間葉系幹細胞と、骨格筋細胞株を用いています。前者は発生機構の解明や再生医療への応用を、後者は宇宙飛行や地上の寝たきりで生じる筋萎縮の機構を探ることを想定したものです。
骨格筋細胞はもとより、間葉系幹細胞にも自発収縮する細胞骨格(アクトミオシン線維)があります。アクトミオシン線維の一端は足場に接地していますが、細胞はこの接着部位(接着斑と呼びます)を介してときどき足場を引っ張り、その反力を感知して足場の硬さを測っています(図1を参照)。この足場の硬さが細胞の増殖や分化、つまり細胞や組織の運命を左右するということも分かっています。
Q:外部から刺激を与えなくても、細胞は自ら細胞骨格を収縮させているんですね。
曽我部:はい。アクトミオシン線維はときどき一定の長さだけ収縮しますが、そのとき足場が硬いほど接着斑に大きなストレス(力)が発生します。接着斑の近傍には機械受容チャネルが分布しており、この力に応じて活性化し、細胞内にカルシウムイオンを導入します。言い換えると、足場の硬さに応じて接着斑近傍のカルシウムイオン濃度が上昇します。細胞はこのカルシウムイオン濃度を下流のシグナル系の活性度に変換して足場の硬さを感知しているのです。
微小重力環境では核やミトコンドリアの重量刺激が消失してアクトミオシン線維の張力が減り、接着斑近傍でのカルシウムイオン濃度の上昇も減少するはずです。この様子をISS内で測定して我々の仮説(図1)を証明することがCell Gravisensing実験の大きな目標の一つです。
Q:この研究では、どのような結果が出ましたか。
曽我部:今は、細胞が重力を感知する仕組みにアクトミオシン線維とミトコンドリアが関与しているのではないかという私たちの仮説を、ライブイメージングと遺伝子解析で検証している最中です。解析にはまだ時間がかかりそうですが、これらの結果と細胞内の構造が微小重量環境でどう変化したかのデータが取れれば、私たちの仮説の正しさも含め、細胞が重力を感知する仕組みに迫ることができます。
私たちの共焦点ライブイメージングを使った細胞重力感知の分子細胞機構の研究は国際的に最先端の実験ですし、うまくいけば世界初の知見も得られるのではないかと期待しています。
ものごとの根本に迫る、基礎研究の魅力と意義
Q:最後に、「きぼう」利用に関心をもつ方に向けてのメッセージをお願いします。
曽我部:古代の人は月を眺めてそこには天上人が住んでいると夢想していました。その夢は消えましたが、広い宇宙には知的生命体が存在すると信じている人は少なくありません。満天の星空を眺めていると、宇宙の果てはどうなっているのか、広大な宇宙の中でのちっぽけな自分の存在はどんな意味があるのかなど、宇宙には私たちを非日常の科学的、哲学的瞑想に誘う何かがあります。
ビッグバン仮説によると私たちの宇宙はおよそ137億年前に誕生し、太陽系は約46億年前に生まれその寿命はあと50億年、それどころか約5億年後には太陽の熱放射の増加で地球は干上がり、 生物は住めなくなるといわれています。生命の誕生から約38億年が経過していますので5億年は決して遠い未来ではありません。もしそのときまで私たちの子孫が生きながらえていれば太陽系の外に出るしかなくなるのです。その意味で宇宙は夢やロマンの世界であると同時に人類の未来と切っても切れない親密な世界でもあるのです。
宇宙への移住は決してSFの世界ではありません。そのためには、微小重力環境でいかに健康な生活を送るのか、いかにして食料を生産するのかなど、解決すべき課題は山積しています。そして私たちはその課題に挑戦できる時代に生きています。JAXAは学生でも参加できる宇宙実験の機会を提供しています。とりあえずはそれがどう役に立つかは気にせず、自由に面白いテーマを考えてぜひ参加してください。
Q:役立つことも大切ですが、謎の解明を目指す基礎研究が歴史的な発見を生む例も多いですね。
曽我部:その通りです。思いもかけない何かに巡り会い、発見が生まれるというのはサイエンスの神髄であり、研究者にとっての醍醐味でもあります。科学において明確な目標を定めることは重要ですが、基礎科学では「何かの役に立つ」という視点がむしろ弊害になることもあります。なぜならば「何かの役に立つ」というミッションに縛られて、それから外れた貴重な事象を見逃したり無視したりすることがあるからです。
目標に縛られない自由で柔軟な感性と好奇心こそ、それまで誰も知らなかった未知の可能性への気づきを与えてくれます。そしてより根本的な自然の仕組みや構造の理解に導く幸運の女神に巡り合えるかもしれないのです。やや逆説的ですが、より基礎的で根本的な発見こそが真の意味で「役に立つ」のです。その意味でたとえ時間とお金がかかろうとも、基礎研究は人類の未来がかかった重要な活動だと思っています。
プロフィール
金沢工業大学 人間情報システム研究所 教授
工学博士。大阪大学基礎工学部生物工学科卒業後、同大学人間科学部 助手、名古屋大学医学部 講師、同 助教授、同 教授を経て、2013年3月に定年退職後、名古屋大学 名誉教授。その後、名古屋大学大学院医学系研究科メカノバイオロジー・ラボ 特任教授/研究員を歴任し、2022年4月より現職。日本生物物理学会 会長、国際比較生理生化学連合 会長を歴任、現在、国際メカノバイオロジー学会 会長
専門はイオンチャネル、メカノバイオロジー、重力生理学、脳・神経生理学
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