若田光一宇宙飛行士が2024年3月29日に記者会見を開き、3月31日付でJAXAを退職することを発表しました。
記者会見直前、若田宇宙飛行士の32年の軌跡をまとめたVTRが放映され、1992年4月に宇宙飛行士候補者として選抜されて以降、日本人宇宙飛行士として最多となる5度の宇宙飛行を経験したこと、その間、ミッションスペシャリストとしてのスペースシャトル搭乗、国際宇宙ステーション(ISS)建設への参加、ISS長期滞在ミッションの実施、ISS船長(コマンダー)就任など、日本人宇宙飛行士としては初となる実績を重ね、約32年にわたって日本の有人宇宙活動をけん引してきたことが紹介されました。
若田宇宙飛行士の挨拶に先立ち、JAXA理事/有人宇宙技術部門長の佐々木宏が、若田宇宙飛行士のこれまでの活躍を紹介。この度の退任に寂しさを表しながらも、若田宇宙飛行士の門出とこれからの新しい挑戦を応援しました。また、これまで長らくご協力、ご支援をいただいた国内外の関係機関の皆さま、国民の皆さまへの感謝の気持ちを伝えました。
記者会見直前、若田宇宙飛行士の32年の軌跡をまとめたVTRが放映され、1992年4月に宇宙飛行士候補者として選抜されて以降、日本人宇宙飛行士として最多となる5度の宇宙飛行を経験したこと、その間、ミッションスペシャリストとしてのスペースシャトル搭乗、国際宇宙ステーション(ISS)建設への参加、ISS長期滞在ミッションの実施、ISS船長(コマンダー)就任など、日本人宇宙飛行士としては初となる実績を重ね、約32年にわたって日本の有人宇宙活動をけん引してきたことが紹介されました。
若田宇宙飛行士の挨拶に先立ち、JAXA理事/有人宇宙技術部門長の佐々木宏が、若田宇宙飛行士のこれまでの活躍を紹介。この度の退任に寂しさを表しながらも、若田宇宙飛行士の門出とこれからの新しい挑戦を応援しました。また、これまで長らくご協力、ご支援をいただいた国内外の関係機関の皆さま、国民の皆さまへの感謝の気持ちを伝えました。
若田宇宙飛行士冒頭の挨拶(抜粋/要約)
今日は本当に多くの皆様にお集まりいただきありがとうございます。1992年の4月28日に宇宙飛行士候補者として選抜された日。宇宙飛行士として生まれて初めての記者会見を経験させていただきましたが、その日が本当に昨日のことのように感じられ、32年があっという間に過ぎ去ってしまったように思っております。そのときから今に至るまで、報道関係者の皆さまのご支援で、有人宇宙活動の素晴らしさを、日本そして世界に広く発信していただいたことに感謝しております。さらに、同席いただいている有人宇宙技術部門長の佐々木理事をはじめ、宇宙航空研究開発機構(宇宙開発事業団)、それから文部科学省をはじめとした日本政府、NASAを含めた各国の宇宙機関、関連企業の皆さまに多大なるご支援をいただいたことに感謝したいと思っております。
日本人が月面に立つ日がすぐそこまで来ていると思っていますが、月そして火星探査を含めて、各国政府が主導する有人宇宙活動の持続的な発展のためには、民間主導による地球低軌道での有人宇宙活動の成功が鍵になると思っております。これまで、宇宙飛行士として仕事をしてきましたが、その経験を生かして民間セクターによる活動を盛り上げ、ポストISSの地球低軌道の活動の推進に尽力していくことで、より多くの人たちが宇宙に行き、月、火星探査を含む有人宇宙活動全体の持続的な発展に貢献できると考えました。そしてこれからは、その先駆者の1人として仕事をしていきたいという思いに至りました。これまで宇宙飛行のたびに記者会見をさせていただき、「有人宇宙飛行の現場で、生涯現役で頑張っていきたい」という目標を皆さまにお伝えしておりましたが、その目標に現在もブレはありません。可能な限り、現役宇宙飛行士としての活動も続けていきたいと思っております。
日本人が月面に立つ日がすぐそこまで来ていると思っていますが、月そして火星探査を含めて、各国政府が主導する有人宇宙活動の持続的な発展のためには、民間主導による地球低軌道での有人宇宙活動の成功が鍵になると思っております。これまで、宇宙飛行士として仕事をしてきましたが、その経験を生かして民間セクターによる活動を盛り上げ、ポストISSの地球低軌道の活動の推進に尽力していくことで、より多くの人たちが宇宙に行き、月、火星探査を含む有人宇宙活動全体の持続的な発展に貢献できると考えました。そしてこれからは、その先駆者の1人として仕事をしていきたいという思いに至りました。これまで宇宙飛行のたびに記者会見をさせていただき、「有人宇宙飛行の現場で、生涯現役で頑張っていきたい」という目標を皆さまにお伝えしておりましたが、その目標に現在もブレはありません。可能な限り、現役宇宙飛行士としての活動も続けていきたいと思っております。
質疑応答(一部)
宇宙飛行士としての32年間を振り返って、それを一言で表すなら?
32年間、あっという間だったなと思います。私たち宇宙飛行士や有人宇宙活動に携わるチームのみんなは、安全な飛行そして与えられたミッションを成功させる、その2つの大きな目標に向かって努力をしてきた日々だったと思います。その中で、国際宇宙ステーションのような国際協力プロジェクトを通して、日本国内のみならず世界各国の多くの皆さんと力を合わせて、1つの目標に向かって努力できたこと、一言にはなりませんけども、これが私にとって貴重な経験であったと感じています。
若田さんがさらに6度目の宇宙飛行に挑戦する可能性はあるのでしょうか?その可能性と意欲についてお聞かせください。
可能性は分かりませんが、意欲はあります。意欲としては6度だけでなく、7度でも8度でも行きたいと思っています。今、宇宙ステーションにいるオレッグ・コノネンコさんは滞在日数が1,000日を超えますし、世界の飛行士のチームを見てみると、7回とか、そういった飛行記録を持つ方もいらっしゃるので、さらに上の目標はあると思います。私に何ができるのか、自分としての新しい挑戦と、自分が所属しているJAXAとしての新しい挑戦、そういったこれまで経験できなかったことを経験していくことでチーム全体としての経験値が高まっていくことが重要で、当然、6回でも7回でも8回でも9回でも10回でも、目標はあります。今後そういう可能性があるのであれば、これまで私が経験できていないこと、日本のチームがこれまで経験できなかったこと、そういうことに常に挑戦していきたいなと思っています。
「これからの宇宙活動は民間が鍵になる」「新しいことに挑戦したい」という言葉がありました。なぜ民間が鍵になると考えられているのでしょうか?
今、国際宇宙ステーション(ISS)の2030年までの運用について、日本政府を含めて世界各国の政府レベルでの合意がされていますが、ISSが永遠にあるわけではありません。将来、地球低軌道を利用していく拠点は、各国の政府が主導で進めている国際宇宙ステーションではなくなりますが、今後、人類が月そして火星、またその先の地球低軌道を利用していく時には、地球低軌道の拠点は無くてはならない存在です。ですから、そういった活動を2030年以降、政府主導でない形で実現していくためには民間が不可欠というか、民間がやっていくしかないと思います。このように、今後は各国政府ではなく、民間に重心が移っていきますので、そういう意味で「鍵」だというふうに申しました。これまで、日本もそうですが、国際宇宙ステーションの運用はアメリカもロシアもヨーロッパも国の政策として行ってきました。それが今後、民間のセクターが主導的な役割を果たし、地球低軌道の利用をしていくわけなので、これは私にとっても新しい分野の挑戦だと捉え、そこに挑戦したいと感じています。
今後の月面着陸などでは、今までとは違ったスキルが必要かと思います。日本人の宇宙飛行士は世界の中でどんな役割を果たすべきか、どんな技量を磨いていけばいいのか後輩の方へメッセージをお願いします。
今後、月そして火星に行くときに、月専門の宇宙飛行士がいるかというと、必ずしもそうではないかもしれません。月面の探査をするときに重要になってくるスキルは、おそらく地質学の知識だと思います。一方で、国際宇宙ステーション内では、地質学の研究はあまりありません。そういった違いから、基礎的な知識としてマスターしていかなければならない分野はあると思います。また、NASAは月着陸に向けてヘリの訓練なども行っていて、当然、月の着陸に必要な特殊な技術というのはあると思いますが、それはある意味、短期間でマスターできるものです。
これは宇宙だけに限りませんが、システムの運用や操作においてもAIの活用や自動化が進んでおり、私が宇宙飛行士になったときのような自分の手動の技術で何かをやっていく時代ではなくなって来つつあると思います。機械ができる技術、AIが肩代わりできる技術を通して、より安全な方向に進んでいると思いますし、より効率的な運用が進んでいます。そういった中で必要になってくるのは、地球低軌道の宇宙飛行士であっても月や火星に行く宇宙飛行士であっても、やはりチームスキルだと思います。人間のチームの中でそのチームの成果を最大限に引き出せる人、そういった能力というのが、これまでの宇宙飛行士と同時に今後もやっぱり重要になってくるのかなと思います。限られた人数で、ストレスが高い作業環境の中で成果を出していくためのチームスキルは今後より強く求められていくんじゃないかと思います。
これは宇宙だけに限りませんが、システムの運用や操作においてもAIの活用や自動化が進んでおり、私が宇宙飛行士になったときのような自分の手動の技術で何かをやっていく時代ではなくなって来つつあると思います。機械ができる技術、AIが肩代わりできる技術を通して、より安全な方向に進んでいると思いますし、より効率的な運用が進んでいます。そういった中で必要になってくるのは、地球低軌道の宇宙飛行士であっても月や火星に行く宇宙飛行士であっても、やはりチームスキルだと思います。人間のチームの中でそのチームの成果を最大限に引き出せる人、そういった能力というのが、これまでの宇宙飛行士と同時に今後もやっぱり重要になってくるのかなと思います。限られた人数で、ストレスが高い作業環境の中で成果を出していくためのチームスキルは今後より強く求められていくんじゃないかと思います。
若田さんといえばロボットアームの名手という印象が非常に強くあり、SFU(宇宙実験観測フリーフライヤ)をがっちり掴んだところが原点かと思います。当時の操作で印象に残っていることを教えてください
「宇宙に対する恐怖がありますか?」と行った質問は多く聞かれましたが、私は打ち上げや帰還に対する恐怖はありませんでした。一方で、宇宙で私が何かミスをすることで発生するトラブル、自分の失敗に対する恐怖、これが一番大きかったのかなと思います。そのためか、宇宙に行った初めての夜、人工衛星SFUをロボットアームでつかもうという時に、そこにつかむためのピン(グラブルフィクスチャ)が付いてないという夢を見ました。「これでは回収できない、どうしよう…。若田頑張れ、と言われて来たけれど、つかむところがないものを、つかんで帰ることはできない…」という夢です。きっとこれは、自分のミッション遂行に対して、それがもしできなかったときにどうなるかという恐怖の表れなのだろう…と思ったエピソードがありました。
還暦周辺のアラ還世代で仕事を変わるとなると、後輩に道を譲りたい、元気があるうちに、それでも寄る年波の…などいろんな思いが去来すると思います。この新しい挑戦に際して、アラ還世代へのメッセージをいただけますか。
私も転職前は航空会社の技術者として仕事をし、そしてその後NASDAに入構したわけですが、人生の中の大きな転換ですので、私が今回のこの転職でうまくいったら、そのときにメッセージをお伝えしたいと思います。現時点ではやはり希望と不安がいっぱいという状況です。ですがその中でも、自分の経験したことのないことに挑戦していこうという気持ち、新しいことに挑戦する気持ちを常に持って、仕事に取り組んでいって欲しいと思います。還暦頃の皆さんは、経験を持っています。一人一人の経験やネットワークを生かして、チームを作れるようにしていっていただきたいです。
若田宇宙飛行士会見終了の挨拶(抜粋/要約)
会場に来てくださっている報道関係の皆様、オンラインで見てくださっている皆様、本当に長い時間お付き合いいただき、また素晴らしいご質問いただきありがとうございました。本当に皆様のおかげで、これまでの仕事をすることができました。これから新しい目標に向かって努力していきたいと思います。
JAXAの宇宙飛行士の仲間、古川宇宙飛行士がこの3月初めに地球に戻ってきました。そして油井宇宙飛行士、大西宇宙飛行士は2025年頃の国際宇宙ステーションの長期滞在に向けて頑張っています。新人の米田さん、諏訪さんもこの11月頃の宇宙飛行士認定に向けて順調に訓練をしています。日本の宇宙飛行士のチームの皆さんそれぞれが次のミッション、地球低軌道から月に向けて頑張っていますので、これからも皆様の応援をよろしくお願いしたいと思います。今日は本当に長い時間ありがとうございました。
JAXAの宇宙飛行士の仲間、古川宇宙飛行士がこの3月初めに地球に戻ってきました。そして油井宇宙飛行士、大西宇宙飛行士は2025年頃の国際宇宙ステーションの長期滞在に向けて頑張っています。新人の米田さん、諏訪さんもこの11月頃の宇宙飛行士認定に向けて順調に訓練をしています。日本の宇宙飛行士のチームの皆さんそれぞれが次のミッション、地球低軌道から月に向けて頑張っていますので、これからも皆様の応援をよろしくお願いしたいと思います。今日は本当に長い時間ありがとうございました。
この記者会見の模様はJAXAの公式YouTubeチャンネルでライブ配信され、多くの皆さまにご覧いただきました。見逃した方はアーカイブ配信をご覧ください。冒頭では、若田宇宙飛行士の32年の活動の軌跡をまとめたダイジェスト映像もご覧いただけます。
※本文中の日時は全て日本時間
※特に断りのない限り、画像クレジットは©JAXA