ISSで長期保管したES細胞の遺伝子発現を網羅的に解析

公開 2024年4月12日

大阪公立大学大学院医学研究科基礎医科学専攻の吉田佳世准教授、大阪市立大学の森田隆名誉教授、宇宙航空研究開発機構(JAXA)らの研究チームは、国際宇宙ステーション(ISS)で1584日間という長期冷凍保管したES細胞を、地上回収後に解凍・培養し、遺伝子発現を網羅的に解析しました。ISS長期保管ES細胞では、DNA二本鎖切断の修復のための細胞周期停止に関与する遺伝子やアポトーシスを制御する遺伝子が地上対照群に比べて活性化されており、宇宙放射線によって損傷したゲノムを持つ細胞の増殖や腫瘍形成を防ぐことが示唆されました。

本研究は、2024年3月に英文学術雑誌『International Journal of Molecular Sciences』に掲載されました。(論文情報

宇宙放射線には、様々なエネルギーを持つ陽子や重粒子などの粒子線が含まれており、この環境を地上で再現することは困難です。しかし、生物が宇宙放射線に対してどのように遺伝子発現などで対応できるか知ることは長期的な有人宇宙探査、宇宙旅行を実現する上で重要です。今回の実験ではほとんどすべての遺伝子の発現をRNA 量で解析しましたが、DNAの損傷を直接修復する遺伝子などを含めて、多くの遺伝子について宇宙サンプルと地上サンプルとの差は認められませんでした。しかし、ゲノムの守護神とよばれるp53がん抑制タンパクにより遺伝子発現が促進されるTrp53inp1、Cdkn1a (p21)、Mdm2などDNA修復のための細胞周期停止やアポトーシスを制御する遺伝子の発現が宇宙放射線により増加することを明らかにすることができました。
また、宇宙放射線によりDNAは複雑な損傷を受けると考えられていますが、それに対して、細胞は特別な遺伝子発現で対応するのではなく、これまで考えられてきた通常の放射線やストレスに対するのと同様の反応により、その影響を回避する可能性を示すことができました。

技術的ポイントと結果のまとめ

本研究の目的は、宇宙放射線の生物学的影響を直接宇宙実験により分析し、人体への影響を評価することです。宇宙放射線はISSの冷凍庫の中では、地上の約100倍とはいえ、1584日で約0.56Gyと低線量、低線量率であり、直接生物や細胞への影響を知るためには長期間の被ばくが必要でした。さらに、ヒストンH2AXという遺伝子を欠損させ、野生型の細胞よりも放射線の感受性を高めた細胞を用いることが必要でした。
例えば、放射線に感受性の高いマウス細胞と野生型マウス細胞に1 Gy (=1Sv) の陽子線(標準)を照射した場合、野生型細胞は染色体異常が1/1000の割合で、放射線に感受性の高いマウス細胞では染色体異常が10/1000だったと仮定します。この場合、未知の放射線を照射し、野生型マウス細胞の染色体異常は0/1000で、感受性の高い細胞の染色体異常の割合が5/1000であれば、未知の放射線の生物学的影響は0.5 Gy (= 0.5 Sv) の陽子線の被ばくに相当すると判断できます。野生型マウス細胞の染色体異常が0/1000なので未知の放射線は、野生型マウス細胞には影響は無いように見えますが、2倍の期間被ばくしたときに1/1000の異常が検出されるはずで、永久に安全であることを保障するものではありません。
このように陽子線照射などの標準を設定すれば、高感度の細胞や個体を用いる方法は、顕微鏡で細菌を観察するように、低線量の宇宙放射線の生物学的影響を定量するのに非常に有効です。このプロジェクトでは、このような細胞などを用いて大きく3つの結果が得られました。

  1. 宇宙で保存したES細胞は受精卵にマイクロインジェクションすることにより、地上保存細胞と同じぐらいの割合でキメラマウスを作製でき、そのキメラマウスはさらにES細胞由来の子孫をつくることから、発生に対する影響は少ないことが明らかになりました。
  2. 1584日間保存した細胞の解析から宇宙放射線による染色体異常の影響が陽子線の約1.54倍であることを明らかにしました。物理学的測定とICRP60(国際放射線防護委員会勧告)により計算されたISS内でのフリーザー内の宇宙放射線の線質係数が1.48とほぼ同じであることから、これまでの宇宙放射線の評価がほぼ正しいことが明らかとなりました。この研究はHeliyon誌に掲載され、2022年のNASA Annual Highlights of Results in the International Space Stationに選出されました。
  3. 1548日間保存した細胞の遺伝子発現を網羅的に解析した結果、p53タンパクに誘導される遺伝子の発現増加がみられましたが、宇宙放射線だけに特徴的な細胞応答がある可能性は低いことがわかりました。

今後の課題

本研究で示されたように、これまでの宇宙放射線の評価がほぼ正しいとすると図のように火星への往復だけで約1.84 mSv/day X 180 days X 2 (往復) = 0.66 Sv、月の表面では1年間に0.42 Svの放射線の影響を受けることになります。
一度に被ばくすると宇宙放射線によるがん死亡率の増加は、それぞれ、6.6 %、4.2 %となり、適切な防御なしでは宇宙での長期滞在は安全とは言えません。しかし、宇宙放射線のように低線量率で少しずつ受ける場合、生物にはDNA損傷を修復する機能があるため、一度に被ばくするより影響が少なく(低線量率効果)、約1/2から1/4に減少する可能性もあります。
現在、宇宙実験による宇宙放射線の低線量率効果に関するデータはありません。低線量率効果は、動物が常にDNA損傷の修復能力を発揮することで得られるものなので生きた動物、できれば放射線に感受性の高いマウスなどを宇宙で飼育し、その細胞の染色体異常などを測定することにより求められます。
今後、月や火星など、より強い宇宙放射線の影響が予想される深宇宙空間において、低線量率効果も含めた正しい評価により、安全な長期宇宙滞在のために必要で適切な対策を講じることが期待されます。

線量に関する文献

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  2. Nagamatsu, A.; Murakami, K.; Kitajo, K.; Shimada, K.; Kumagai, H.; Tawara, H. Area radiation monitoring on ISS Increments 17 to 22 using PADLES in the Japanese Experiment Module Kibo. Radiat. Meas. 2013, 59, 84-93, https://doi.org/10.1016/j.radmeas.2013.05.008.
  3. Zeitlin, C.; Hassler, D.M.; Cucinotta, F.A.; Ehresmann, B.; Wimmer-Schweingruber, R.F.; Brinza, D.E.; Kang, S.; Weigle, G.; Böttcher, S.; Böhm, E.; et al. Measurements of Energetic Particle Radiation in Transit to Mars on the Mars Science Laboratory. Science 2013, 340, 1080-1084. https://doi.org/10.1126/science.1235989.
  4. Naito, M.; Hasebe, N.; Shikishima, M.; Amano, Y.; Haruyama, J.; A Matias-Lopes, J.; Kim, K.J.; Kodaira, S. Radiation dose and its protection in the Moon from galactic cosmic rays and solar energetic particles: At the lunar surface and in a lava tube. J. Radiol. Prot. 2020, 40, 947-961. https://doi.org/10.1088/1361-6498/abb120.
  5. Zhang, S.; Wimmer-Schweingruber, R.F.; Yu, J.; Wang, C.; Fu, Q.; Zou, Y.; Sun, Y.; Wang, C.; Hou, D.; Böttcher, S.I.; et al. First measurements of the radiation dose on the lunar surface. Sci. Adv. 2020, 6, eaaz1334. https://doi.org/10.1126/sciadv.aaz1334.

論文情報

雑誌名
International Journal of Molecular Sciences
論文名
著者名
YOSHIDA Kayo, HADA Megumi, HAYASHI Masami, KIZU Akane, KITADA Kohei, EGUCHI-Kasai Kiyomi, KOKUBO Toshiaki, TERAMURA Takeshi, HASHIZUME Suzuki Hiromi, WATANABE Hitomi, KONDOH Gen, NAGAMATSU Aiko, Premkumar Saganti, MURATANI Masafumi, Francis A. Cucinotta, MORITA Takashi
DOI
10.3390/ijms25063283

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