筑波大学
宇宙航空研究開発機構
東京大学
理化学研究所(理研)生命医科学研究センター免疫恒常性研究チームの秋山泰身チームリーダー、粘膜システム研究チームの大野博司チームリーダー、筑波大学の高橋智教授、宇宙航空研究開発機構の白川正輝グループ長、東京大学の井上純一郎教授らの共同研究グループ※は、宇宙の無重力環境を経験することにより、リンパ器官[1]である「胸腺」が萎縮すること、その萎縮は人工的な重力負荷で軽減されること、また、胸腺細胞の増殖が抑制されることによって萎縮が起きるという仕組みを発見しました。
これまで、宇宙滞在による免疫機能の低下が報告されてきましたが、その機構については多くが分かっていません。本研究成果は、免疫機能に関与する胸腺と重力の関係を明らかにするもので、将来の月・火星有人探査や民間の宇宙旅行などの際に必要な健康管理や、免疫系異常の予防に貢献すると期待できます。
今回、共同研究グループは、国際宇宙ステーション(ISS)[2] ・「きぼう」日本実験棟でマウスを約1カ月間飼育し、無重力環境が胸腺へどのように影響するのかを調べました。その際、一部のマウスは、遠心力を利用して地球上と同じ重力を受けるように(人工1g)飼育しました。無重力[3]の宇宙環境で飼育したマウスの胸腺は、地上で飼育したマウスより萎縮しますが、ISS内で人工的に1gを負荷すると、胸腺萎縮はかなり軽減されることが分かりました。また、各マウスの胸腺内で発現する遺伝子を網羅的に解析し、宇宙滞在による胸腺萎縮が、どのような機構で起きるのかを調べました。その結果、無重力で飼育したマウスの胸腺では、細胞増殖に関わる遺伝子が減少したことが分かりました。このことから、宇宙環境で無重力状態を経験すると、胸腺細胞の増殖が抑制され、胸腺萎縮が起きると考えられます。
本研究は、英国の科学雑誌『Scientific Reports』のオンライン版(12月27日付)に掲載されました。
※共同研究グループ
理化学研究所 生命医科学研究センター
- 免疫恒常性研究チーム
- チームリーダー 秋山泰身
- 大学院生 堀江健太
- 粘膜システム研究チーム
- チームリーダー 大野博司
- 研究員 加藤完
筑波大学 医学医療系 解剖学・発生学研究室
- 教授 高橋智
- 准教授 工藤崇
宇宙航空研究開発機構 有人宇宙技術部門 きぼう利用センター
- グループ長 白川正輝
- 技術領域主幹 芝大
東京大学 医科学研究所 癌・細胞増殖部門 分子発癌分野
- 教授 井上純一郎
※研究支援
本研究の一部は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金新学術領域研究(研究領域提案型)「宇宙環境によるリンパ組織擾乱の分子機構解明(研究代表者:秋山泰身)」、宇宙航空研究開発機構による支援を受けて行われました。
背景
近い将来、宇宙へのフライトは身近なものになると考えられ、月やその周回軌道だけでなく、火星への有人探査も計画されていますが、このような宇宙滞在により、ヒトの体は無重力や宇宙放射線[4]など、地上とは異なる環境にさらされ、さまざまな影響を受けます。その一つが生体防御に重要な免疫系への影響で、免疫機能が低下し、ヘルペスウイルス[5]などの再活性化が起きると考えられています。そのため、これまで主に宇宙滞在中およびその前後に採取した宇宙飛行士の血液を用いて、宇宙環境による免疫系への影響が調べられてきました。
リンパ器官は免疫系の発生、維持、そして免疫応答に重要ですが、その一つの「胸腺」は、免疫応答に重要なTリンパ球[6]を産生する臓器です。宇宙飛行士の血液を調べた研究から、胸腺で産生した直後のTリンパ球は、宇宙に滞在することで減少することが分かっていて、この結果は、宇宙環境が胸腺の機能に影響することを示しています。
胸腺への影響を防ぐには、宇宙環境がどのような仕組みで胸腺の機能に影響するのかを調べる必要がありますが、リンパ器官への影響をヒトで詳細に調べることは困難です。そこで共同研究グループは、実験動物のマウスを宇宙で飼育し、胸腺が受ける影響を解明することに挑みました。
研究手法と成果
共同研究グループは、ISS・「きぼう」日本実験棟にマウスを飼育する設備を設けました。この設備は、マウスの飼育ケージを回転させることで、地上と同じ重力を再現すること(人工1g)もできます。
はじめに、無重力環境に置いたマウスと人工1gの環境に置いたマウスをそれぞれ約1カ月間飼育し、地上に帰還させた後、胸腺を採取しました。また、比較のため地上で飼育したマウスからも、同様に胸腺を採取しました。各マウスの胸腺の重量を体重比で調べたところ、無重力飼育マウスの胸腺重量は、地上飼育マウスに比べて有意に減少していたのに対し、人工1g飼育マウスの胸腺重量の減少幅は無重力飼育マウスに比べ少ないものでした(図1)。このことから、宇宙環境の影響で胸腺は萎縮すること、また、人工的に1gを負荷した場合、萎縮を軽減できることが分かりました。
次に、宇宙環境による胸腺萎縮が、どのような機構で起きるのかを調べるために、採取した胸腺で発現する遺伝子を網羅的に調べました。それぞれのマウスの胸腺からRNAを採取し、発現する遺伝子を次世代シークエンシング[7]を用いて定量しました。その結果、無重力飼育マウスの胸腺では、地上飼育マウスに比べ、多くの遺伝子発現が変動し、細胞増殖に関わるタンパク質をコードする遺伝子が有意に減少していることが分かりました。一方、人工1g飼育マウスで変動する遺伝子は、無重力飼育マウスよりも少数でした。
以上の結果をまとめると、
- 胸腺細胞の増殖が、宇宙環境により抑制され、胸腺萎縮を引き起こす
- 宇宙環境による細胞増殖抑制の一部は、人工1gでは軽減される
ことになります。
さらに、胸腺組織の構造を免疫組織染色法[8]で検証しました。胸腺の構造は、髄質と皮質の二つの領域に大きく分かれ、それぞれの領域には特徴的な胸腺上皮細胞が存在することで、Tリンパ球の分化や増殖を促します。胸腺の上皮細胞を調べたところ、無重力飼育マウスでは髄質領域に存在する上皮細胞の一部が異所的に皮質へ局在していましたが(図2)、この点在は人工1gマウスの胸腺では観察されませんでした(図2)。すなわち、遺伝子発現と同様に、宇宙環境によって起こる上皮細胞の局在異常は、人工1gによって抑制されることが分かりました。
今後の期待
宇宙滞在による免疫機能の低下はこれまでにも報告されてきましたが、その機構については多くが分かっていません。今回、ISSの「きぼう」日本実験棟を利用したマウス実験により、無重力を経験することで起きる細胞増殖の抑制が胸腺萎縮の原因であると考えられることが分かりました。今後は、この抑制を誘導する機構を明らかにすることで、胸腺萎縮が抑制されると期待できます。
また、人工的に1gを負荷することで、胸腺への影響が軽減されることも実証されました。宇宙環境が筋・骨格系[9]に与える影響を緩和するために人工的1gの応用が模索されていますが、筋・骨格系のみならず、免疫系の異常も緩和できる可能性があります。
論文情報
補足説明
- [1] リンパ器官
免疫反応の担い手であるリンパ球(Tリンパ球とBリンパ球)の発生、分化、増殖、そして抗体産生などの機能発現の場となる器官。胸腺、骨髄、リンパ節、脾臓などがこれにあたる。 - [2] 国際宇宙ステーション(ISS)
世界15ヵ国が協力して運用している宇宙ステーション。宇宙環境を利用した研究を行うための施設であり、日本が開発した実験棟「きぼう」が運用されている。 - [3] 無重力
重力がないという意味。ISSは自由落下しているため、無重力とほぼ同じ状態になる。実際は、極めて微小な重力が残っているため、微重力と表記する場合もある。 - [4] 宇宙放射線
宇宙空間に飛ぶ高エネルギーの放射線。高エネルギーの粒子を含むため、人体に重篤な影響をもたらす場合がある。 - [5] ヘルペスウイルス
DNAウイルスの一種。感染した後に潜在した状態になり、通常は病原性がないが、免疫能が低下すると再度活性化して疾患をもたらす場合がある。 - [6] Tリンパ球
他の免疫細胞(Bリンパ球など)の機能を誘導したり、ウイルス感染細胞を除去したりする細胞。 - [7] 次世代シークエンシング
膨大な数のDNA配列を一度に決定できる技術。近年、遺伝子発現を定量する際に汎用されている。 - [8] 免疫組織染色法
組織におけるタンパク質の存在を、抗体を利用して可視化、検出する技術。 - [9] 筋・骨格系
骨格を形成する骨と筋肉に加えて、腱や靱帯などを含めた総称。無重力状態では、筋・骨格系が萎縮することが知られている。
関連リンク
- 世界初、宇宙空間でμgから1gを可変できる実験環境"MARS"が完成 (2017年9月8日)
- 宇宙でのマウス研究システムMARS(Multiple Artificial-gravity Research System)を改良し、餌介入試験に成功 (2019年7月11日)
問い合わせ先
「きぼう」を使った小動物飼育ミッションに関するお問い合わせ
宇宙航空研究開発機構 広報部
TEL:050-3362-4374 FAX:03-3258-5051
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構
有人宇宙技術部門 きぼう利用センター
きぼう利用プロモーション室
お問い合わせ