小川 志保
宇宙研究を取り巻く環境が年々厳しくなる中で、「きぼう」日本実験棟を利用する研究の実現には努力を惜しまないという小川グループ長。彼女の夢は、できるだけ早く「きぼう」発の技術を世に送り出すことだという。刻々と変化する科学研究や技術開発の流れを的確に捉えながら、「きぼう」の利用促進に全力で取り組んでいる小川グループ長に、仕事に向き合う姿勢と心遣いを聞いた。
「きぼう」の利用を促進する3つの仕事
小川:大きく分けると3つあります。1つ目は「きぼう」利用の長期的な戦略の立案です。その戦略に基づいて利用促進の実行プランを作成し、実施しています。
2つ目は「きぼう」利用の"入口"と"出口"の推進です。"入口"というのは、「きぼう」を利用してくださる外部の研究者に呼びかけと提案募集を行い、「きぼう」ならではの利用研究を実現すること。もう一方の"出口"は、「きぼう」で得られた利用成果の普及・情報発信を行い、さらに研究を進展させるために、さまざまな研究制度への応募につなげ成果創出拡大への橋渡しをすることです。
そして、3つ目は民間企業に「きぼう」を使っていただくためのプロモーションです。例えば、材料メーカーの中には、開発した素材が実際に宇宙で使えるかどうか、実証を希望される企業があります。そんな企業の皆さまに、私たちは「きぼう」での実験をご提案しています。
小川:私たちのチームで立案する長期戦略を"トップダウン"、外部の研究者から提案いただく研究テーマの実現を"ボトムアップ"としてこの2つをつなげる活動をしていると言えば、ご理解いただけると思います。
現在から未来へ向けての科学技術のあり方は、文部科学省が取りまとめる科学技術基本計画や、深刻化する高齢化社会を見据えた政府の健康医療戦略などに提示されています。これらの政府方針を的確につかむことに加え、さまざまな学会での情報収集にも努め、「きぼう」利用の長期的な戦略を立案しています。
言ってみれば、「きぼう」の今後というトップダウンと、「きぼう」を利用してくださる研究者の声やアイデアに関心を持ち、より良いものを受け入れていくボトムアップの双方を有効に動かしていくことですね。これまでにないような画期的な研究を提案いただき、それを取り入れることで、「きぼう」がより豊かに、多彩に利用されるようになると考えているのです。
小川:今、検討を進めている例を一つ挙げましょう。微小重力環境を生かした細胞の立体培養です。ご存知のように、体細胞を初期化するiPS細胞の技術が樹立されたことで、再生医療の実現への期待が高まっています。けれども、立体的な構造をもつ臓器を体外で培養することは、今のところ難しいようです。
そこで細胞の培養を微小重力環境で行うことにより、立体的な臓器をつくり出すきっかけを探す研究が始まっています。ただし、地上で実現できる模擬的な無重力環境では限界があり、「きぼう」を利用した立体培養が提案されたのです。これは重要な研究テーマになり得るので、2017年1月に策定した「きぼう利用戦略」でも紹介させていただいています。
広い視野をもって情報収集に取り組む
小川:「きぼう」の利用分野は広範にわたっているので、可能性のある材料科学や生命科学などの幅広い研究分野にも目配せする必要があります。そこで、例えばさまざまな学会の年次大会に足を運び、発表や議論の内容に耳を傾けるなどの努力を重ねています。
技術系の見本市、展示会にはJAXAのブースを設け、「きぼう」の実験設備を紹介するとともに、ブースにお越しいただいた方々のお話をうかがい、情報収集に努めています。時には民間企業に出向いてヒアリングすることもありますから、情報収集のチャンネルは多岐にわたります。もちろん、私一人でカバーしきれませんから、きぼう利用センターのメンバーで手分けして取り組んでいます。
小川:入社4年目に配属された計画管理部(現在の経営推進部)での経験が生きていると思います。1987年にJAXAの前身である宇宙開発事業団(NASDA)に入社して、計算センターに新人配属されました。ロケットの誘導解析計算などに使われる大型計算機の運用管理業務を担当していましたが、目先の仕事に追われるあまり、そのロケットがいつ打ち上げられるかも知りませんでした。これではいけないと思い、NASDAを俯瞰(ふかん)できるような仕事を希望したところ、計画管理部に異動になりました。
現在はありませんが、当時はプログラム・オフィス制という制度があり、各部門の調整担当が計画管理部にプログラム・オフィスとして配置され、予算要求の折衝や各事業の実施調整をしていました。私は各プログラム・オフィス間を全体調整する担当になりました。計算センターの頃とは打って変わり、視野を広げて各部署の立場や業務内容を理解することが必要になりました。この経験が、今の仕事につながっていると感じています。
私たちは、仕事の中で多くの研究者と接します。そこで知らされるのは、宇宙での実験に興味がある研究者でも、「きぼう」でどのように実験が行われているのか、ご存じない方が意外に多いということです。ですから、いきなり「『きぼう』ではこんなことができますよ」とお話しするのではなく、まず、その方がどのような研究をしたいのかじっくりお聞きし、そこから「きぼう」の利用に話を結びつけていくようにしています。
私自身、決して聞き上手ではないのですが、自由に気の向くままに話していただくよう心がけています。そして、「きぼう」の利用を目指そうと決まったら、研究の実現に向けてその研究者とともに力を尽くします。時には一緒に研究費を獲得できるよう、私たちから外部の助成制度を紹介することもあります。
できることは何でもやって「きぼう」での実験を実現させたい
小川:「きぼう」での実験設備の維持管理はJAXAの予算で行いますが、実験の準備やデータの解析などに必要な研究費は、「きぼう」を利用する研究者にご用意いただく必要があります。さまざまな研究助成制度がありますが、JAXAが一緒に応募することが得策となる場合もあるので、ご相談しながら進めることがあります。
こうした取り組みの背景には、宇宙研究を取り巻く環境が年々厳しくなっているという現実があります。国際宇宙ステーション(ISS)ができる前までは、宇宙研究を活性化するという政府の方針に沿って将来の宇宙研究の担い手を育成する制度があり、JAXAに予算を付けてもらっていました。さまざまな分野の研究者に関わってもらい、微小重力環境を使ってどのような研究ができるのか検討が行われていたのです。この制度があるうちは、参加した研究者が、その後の「きぼう」利用のメンバーになってくれると期待できました。
ところが、財政難に端を発した研究費の縮小はこの制度にも及び、予算は付かなくなりました。ですから、有望な研究提案については、「きぼう」という実験環境の提供にとどまらず、できることは何でもしようという姿勢で取り組んでいます。
小川:意識改革といえるかどうかわかりませんが、計画管理部時代の上司の考え方が影響しているのだと思います。先ほどお話したように計画管理部にいた頃は、各部門の意向を調整する仕事に携わっていましたが、限られた予算を配分するのですから、すべての要望には応えられません。その時、上司から「厳しい現実を伝えるだけではいけない」と指摘されました。
予算の要求を認めてもらえない部署では、頭を抱えているかもしれません。そこで私は、「あきらめてください」と説得するのではなく、「今回は予算が取れませんでしたが、それをカバーする方法を考えましょう」と、別の取り組みを提案し、支援するようにしました。
これを今の仕事に当てはめると、「予算の獲得を含め、できることは何でもやって、二人三脚で『きぼう』での実験を実現していきましょう」ということになりますね。
小川:「きぼう」が建設されて以降、さまざまな実験が行われてきましたが、まだ「きぼう」の実験を礎に世に出た技術はありません。ですから、できるだけ早く「きぼう」発の技術を世に送り出すのが夢といえます。
例えば、「きぼう」ではマウスを飼育して加齢のメカニズムの一端を解明する研究が行われています。マウスで確認される骨量の減少を加齢現象としていいのか、議論はあると思いますが、微小重力環境では急速に骨量の減少が進みます。このマウスを用いた研究成果を生かして骨粗鬆症(こつそしょうしょう)などの加齢現象を抑える薬ができたら、これほどうれしいことはありません。
小川:「きぼう」にはいろいろな使い方があります。微小重力を活用したタンパク質結晶生成実験やマウスの飼育実験だけでなく、船外プラットフォームでは宇宙放射線に曝露させる実験も可能で、多様な研究の要望にお応えできると考えています。「きぼう」の実験環境に興味がおありでしたら、私どものスタッフがご説明に参りますので、遠慮なくお問い合わせください。
小川 志保(おがわ しほ)
有人宇宙技術部門 きぼう利用センター きぼう利用企画グループ グループ長
神奈川県横浜市出身。日本工学院専門学校電子工学研究科卒業。1987年宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)入社。計算センター、計画管理部、宇宙環境利用システム本部事業推進部、宇宙実験グループ(現きぼう利用センター)などを経て、2015年から現職。趣味は温泉浴、街中散歩、古墳・遺跡めぐり、スキー。