猿渡 英樹
JAXAは、「きぼう」日本実験棟を幅広い分野の科学技術イノベーションを支える研究開発基盤として定着させることを目指し、新たなプラットフォーム形成による利用の多様化を推進している。そうした取り組みの一つとして期待が高まっているのが、静電浮遊炉(Electrostatic Levitation Furnace: ELF) を用いた物質・材料研究だ。物質を浮かせた状態で熱物性を計測する無容器処理技術では、すでに世界に先駆けて数々の優れた成果が得られており、2011年から開始された「きぼう」への実験装置の搭載も完了した。今後は研究者・産業界から広くサンプルを募集するなど、利用拡大に向けてさらなるステップを踏み出そうとしている。2014年からこのプロジェクトに参加し、実験装置の開発や改良に力を尽くしてきた猿渡主任研究開発員に話を聞いた。
金属だけでなく絶縁物も扱える静電浮遊炉
猿渡:宇宙との最初の出会いは、幼稚園の頃に入っていた音楽教室でした。発表会に向けてテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲を何度も練習し、銀河や星に何となく心惹かれるようになりました。小学校に上がると、「機動戦士ガンダム」に夢中になりました。さらに理科の授業で星座を習ってからは、実際に夜空を見上げてオリオン座や北斗七星(おおぐま座)などを探したりして、宇宙の壮大さを実感しました。
その後も天文雑誌を読むなど、星や宇宙に興味はありましたが、大学は機械工学に進みました。宇宙と直接は関係のない熱工学を専攻し、大学院では、数値シミュレーションによって固体と液体の界面の熱伝達を、ミクロなスケールで明らかにする研究に取り組んでいました。
当時は、まだ宇宙開発事業団(NASDA)(現宇宙航空研究開発機構(JAXA))に就職することなど考えてもいませんでした。そんな自分が、現在JAXAで静電浮遊炉の開発・運用を担当し、宇宙で物質を3000℃という高温で溶かして熱物性を調べるという、大学院での専門分野に近い仕事をしているのですから、"縁"とは不思議なものですね。
猿渡:浮遊炉とは、微小重力環境で物質(試料)を浮かせた状態で加熱して溶かし、その特性を計測したり、過冷凝固させたりする材料実験装置です。物質を浮遊させれば容器を使う必要がないので、不純物による汚染といった容器の影響を排除して、物質そのものの性質を明らかにすることができます。
代表的な浮遊方式は3つあります。欧州宇宙機関(ESA)が進めているのは電磁浮遊炉(Electromagnetic Levitator: EML)で、電磁力によって試料の制御を行う方法です。国際宇宙ステーション(ISS)の「コロンバス」(欧州実験棟)に設置して2016年度から実験を開始しています。米国は、かつて超音波浮遊炉という超音波で試料を制御する方法に取り組んでいましたが、現在、実験は終了しています。
3つ目は日本が進めている静電浮遊炉で、静電気力によって位置制御を行います。この静電浮遊法は、電気を帯びた状態にした試料に電圧をかけた時に働くクーロン力(プラスとマイナスの間に引き合う力、プラス同士やマイナス同士では反発し合う力が働く)を利用する浮遊方式です。最大のメリットは、金属だけでなくセラミックやガラスなどの帯電しづらい絶縁物も試料として扱えることです。
ちなみに、ESAの電磁浮遊炉が扱える試料は金属(導体)だけです。絶縁物に働くクーロン力は小さいため、地上では静電浮遊炉でも浮かせることは難しいのですが、微小重力の宇宙でなら浮かせて位置制御することができるわけです。
20年以上前から浮遊炉の技術開発に着手
猿渡:静電浮遊法は、NASAジェット推進研究所(JPL)の研究者らによって基礎技術が確立されました。その研究者と一緒に技術開発を行い、後にJAXAで静電浮遊炉に取り組んだのが、現在、JAXA宇宙科学研究所(学際科学研究系)におられる石川 毅彦(いしかわ たけひこ)教授です。石川教授は20年以上前に技術開発を開始し、地上で静電浮遊炉の実験を行ってきました。
金属は非常に帯電しやすいので、地上でも重力に打ち勝って浮遊させることが可能です。そこでタングステンなどの高融点の金属を浮かせて溶かし、粘性や密度、表面張力など、高精度な熱物性データを取得する実験などを着実に進めてこられました。
また、浮かせることによる無容器処理では、不純物がないため物質は過冷却状態になりやすく、通常と異なる結晶組織や相が形成され、新たな性質をもつ新材料が得られることがあります。その一例が、静電浮遊炉を用いた実験で得られたJAXAガラスです。これは、チタン酸バリウムを無容器で浮遊溶解した後に急冷させた過冷却状態から生まれた新機能素材で、ダイヤモンドと同程度という高い屈折率をもちます。こうした地上で長年積み重ねてきた成果が、今日の「きぼう」の静電浮遊炉に結実したわけです。
猿渡:静電浮遊炉を設置して「きぼう」で実験を行うことが認められたのは2011年でした。実験装置の開発で一番苦労したのは、「きぼう」の実験ラックに収まる大きさに小型化することでした。例えば、試料を加熱するために使うレーザーは、地上で使われる炭酸ガスレーザーはサイズが大きすぎて持ち込めないことから、半導体レーザーを採用しています。
苦労はほかにもありました。完成した実験装置はいくつかに分割して打ち上げなければならず、「きぼう」で宇宙飛行士に組み立ててもらう作業が必要でしたが、うまく組み立てられないというトラブルもありました。また、組み立てが終わって実験を開始したら、思うように試料を浮遊させられないという現象に悩まされたことも、初期の頃にはありました。
宇宙なら物質を浮かせて加熱するのは簡単と思われるかもしれませんが、実際にはさまざまな問題が発生して、正確に位置を制御しながら実験を行うのは容易ではありませんでした。実験装置の開発では必ず航空機実験を行い、疑似的な微小重力環境で正確に機能するかどうか確認しますが、「きぼう」の環境と全く同じではありません。そのわずかな違いによって、思った通りにいかないことも出てきました。打ち上げて軌道上で初めてわかったこともたくさんありました。
そうした数々の苦労を乗り越えて、ようやく静電浮遊炉を用いた実験環境が整いました。もちろん、今後も実験の成功率を高めていくために、さらなる改良を実験と並行しながら進めていく考えです。
未知の新機能素材の発見にも期待したい
猿渡:静電浮遊炉による実験の目的は、大きく2つあります。一つは、既存の材料の高温での熱物性をより高精度に計測すること。もう一つは、先ほど紹介したJAXAガラスのような新機能材料の創製です。
前者に関しては、すでに地上の浮遊炉でも熱物性を測定してほしいという依頼はいくつもありましたし、実際にデータを取得して製品開発の役に立っている例もあります。その一例がジェットエンジンのタービンブレードの開発研究への貢献です。タービンブレードは鋳造でつくるのですが、「鋳造で高温になる際の合金材料の高精度な粘性のデータが欲しい」という依頼を受けて、静電浮遊炉による実験を行いました。
通常の容器に入れて溶かす実験では、得られた粘性データでシミュレーションしたところ、実際の現象と大きく食い違っていましたが、静電浮遊炉によって得られた粘性データを使ったシミュレーションでは、実際の現象を再現することができました。
地上で浮遊させることができる物質は限られていますが、今後「きぼう」の静電浮遊炉で実験を行うことにより、金属だけでなく絶縁物を含めたさまざまな物質の熱物性を、高精度に測定することが可能になります。材料開発や加工、溶接、溶射など、いろいろな分野に貢献できると考えていますし、絶縁物も扱えることから、応用分野はさらに広がると思います。
また物質・材料分野では、近年、実験に頼らずにコンピュータシミュレーションによって物質の可能性を探索していく動きが広がりつつあります。そうしたマテリアルズ・インフォマティクス分野に欠かせない高精度データの取得という面でも、静電浮遊炉への期待は高まっています。
猿渡:私は、大学時代に熱工学を専攻していたこともありますので、高温に耐えられる新材料の開発などで、熱機関の高効率化に役立ててもらえると嬉しいですね。高効率化は、省エネルギーにもつながります。その意味では産業界にも大きな需要があると思っています。
また、先ほど挙げた2つの目的のうちの後者、新機能材料の創製にも期待しています。正直なところ、どんなものができるかは予測できませんが、それだけに楽しみでもあり、今まで全く知られていない、新しいものが見つかるかもしれないということに、面白さと可能性を感じます。
また、宇宙実験で新たに発見された新機能材料が、私たちの暮らしに役立つものになれば、本当に素晴らしいことだと思います。
猿渡:地上での熱物性の実験では、容器を使わざるを得ないため、精度の低いデータで我慢している方が数多くおられると思います。そうした方に、「きぼう」の静電浮遊炉を積極的に利用していただきたいと思っています。
宇宙実験は自分たちには手の届かないものと思っている方も多いかもしれませんが、金額的にもかなり手頃に設定されています。ぜひ気軽にチャレンジしてほしいです。静電浮遊炉の開発は、打上げ前も打上げ後も苦労の連続ですが、それだけに自分にとってはやりがいのある仕事です。今後はたくさんの方々に利用され、多くの成果が生まれ、これまでの私たちの苦労が報われることを期待しています。
猿渡 英樹(さるわたり ひでき)
有人宇宙技術部門 きぼう利用センター 主任研究開発員
1996年、東京大学大学院工学系研究科(修士課程)修了。1996年、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)入社。人工衛星の環境試験設備の開発および運用に長く携わる。1999年7月から1年間、研修生として三菱電機に勤務し、人工衛星の熱制御技術などを学ぶ。2009年より地球観測衛星ALOS-2(だいち2号)プロジェクトチームに参加(主任研究開発員)。2014年12月より現職。プライベートでは、休暇を利用して四国八十八ヶ所霊場を巡っている。