Interview
04
Yasumitsu Sakamoto
阪本 泰光
岩手医科大学薬学部構造生物薬学講座助教
熊本県生まれ、埼玉県育ち。1971年生まれ。
2002年 長岡技術科学大学大学院博士後期課程単位取得退学。
2002年 昭和大学保健医療学部助手。
2005年 昭和大学にて博士(薬学)・学位取得。
2007年 昭和大学保健医療学部講師。
2008年 岩手医科大学薬学部助手を経て、2010年より現職。
2016年 さいたま市立大宮北高等学校SSH運営指導委員。
Wataru Ogasawara
小笠原 渉
長岡技術科学大学大学院工学研究科教授
岩手県出身。1969年生まれ。
1997年 長岡技術科学大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。
1997年 岩手大学工学部助手。
1998年 英国ブリストル大学研究員。
2008年 長岡技術科学大学 産学融合トップランナー養成センター 産学融合特任准教授。
2010年 長岡技術科学大学大学院工学研究科准教授を経て、2016年より現職。
第2回目のインタビューは、2016年の ISS Research Awards 「Space Station Top Results for Discoveries」を受賞されたことを記念して、受賞者の岩手医科大学薬学部 阪本泰光先生と長岡技術科学大学の小笠原渉先生にお願いしました。子供の頃の過ごし方から今後の研究の展望まで幅広く語って頂きました。
インタビュー記事に出てくる研究成果については、以下のページに詳しく紹介されています。合わせてご覧ください。
2014年 DAPBII(DPP7)研究の経緯
ISS Research Awardsのご受賞、おめでとうございます。
まず、簡単に研究内容についてお伺いしたいのですが、先生方は歯周病原因菌などの生育に重要なタンパク質の研究をされています。
そもそもどういった経緯で始められたのでしょうか?
阪本先生
どうもありがとうございます。サンディエゴで開かれた受賞式典では貴重な経験をさせて頂きました。
最初にJAXAと共同研究をさせてもらったのはDAP BII(DPP7)というタンパク質で、これを見つけたのが小笠原先生です。
小笠原先生
私が修士課程1年のときなので、もう20年以上前のことです。
どうやって見つけられたのですか?
小笠原先生
元々、私の当時の指導教官がカビの研究をしていて、特にセルロースを分解する酵素の研究が専門でした。セルロースというのはβ-グルコースという糖が一本の鎖のように重合した天然高分子のことで、植物の細胞壁の主成分ですね。セルロースはそのままでは大きすぎて栄養にならないので、分解して小さくしてやる必要があります。分解する方法も酵素によっていろいろあって、例えば、分子の鎖の端から順に切っていくものもあれば、鎖の途中から切ってしまうものもあります。端から順に切っていくものは、通常、鎖の輪を一つずつ切っていくものが多いのです。ところが2つずつ切っていく珍しい酵素がありました。
一方、タンパク質というのも栄養源の一つですが、これはアミノ酸が直鎖状に繋がって出来ています。我々人間はタンパク質を食べると、一旦、アミノ酸になるまで分解してから栄養として利用します。タンパク質を分解する酵素のことをプロテアーゼと言いますが、プロテアーゼにも鎖の途中から切るものと端から順番に切るものがあります。端から切るものはセルロース分解酵素と同じように1つずつ切っていくものが普通です。ただ、私たちの研究室はセルロースを2つずつ切っていく酵素があるということを知っているわけです。そこで、タンパク質でも端からアミノ酸2個ずつに分解する酵素を持つ細菌がいるはずだと思って、実際に探してみることにしました。ちなみにアミノ酸が複数繋がったものをペプチドと言って、特にアミノ酸が2個繋がったものをジペプチドと言います。
でも、これがなかなか大変でした。というのも生物はいろいろなタンパク質分解酵素を持っているので、2個ずつ切っている酵素の反応を見ているのか、1個ずつ切っていく酵素が2回反応して結果として2個切っているのか、区別がつかないわけです。結局、探し始めてから2年位は何もデータが得られませんでした。
細菌自体もいろいろなところで探しました。牛乳の工場とかカルピス工場とか・・・。最終的に、新潟県長岡市にある豆腐工場の排水から採取した菌が、目的の酵素を持っていることを見つけました。
なるほど。確かに牛乳とかカルピスとか豆腐の工場には、微生物の餌になるタンパク質がいっぱいありそうです。
実際、そういったところでは、特殊な菌が見つかりやすいのですか?
小笠原先生
2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智先生とつい先日お話させて頂く機会があって、その際にも同じような話題になったのですが、そういった特殊な菌も、実際には見つけにくいだけで色んなところにいるんだろう、という話になりました。ただ、見つけやすい場所があるのは確かだと思います。
その後、見つけた菌の遺伝子を調べてみましたが、これまで知られているどの菌とも一致しませんでした。私たちは細菌の専門家ではないので、あまり深追いはしなかったのですが、結局、別の専門の方の手によって、この菌は新種であることがわかりました。そういった経緯で見つけた新しい酵素について、その後、阪本先生と一緒に研究を進めることになりました。
阪本先生
その研究の過程で、DAP BII(DPP7)と名付けられたこの酵素が、ペプチドやタンパク質を栄養にして生きる「糖非発酵グラム陰性菌」という菌の増殖や生育に重要であることがわかってきたんです。糖非発酵グラム陰性菌には、歯周病や院内感染の原因菌なども含まれています。ちなみに、人類最大の感染症は歯周病です。研究を始めた頃は、ちょっと変わった面白い酵素として捉えていたのですが、そういった病原菌の生育に必須であるDAP BII(DPP7)やその類縁の酵素(DPP群)の働きを抑えてやれば抗菌薬になるのではないかと思い、抗菌薬開発も目指すことになりました。
初めから抗菌薬を作ろうと思っていたわけではなく、偶然、DAPBII(DPP7)が抗菌薬のターゲットとして優れていることが分かったというわけですね。
阪本先生
そのとおりです。
結晶化も並行してやっていました。ただ、結晶は出るもののなかなか分解能が上がらず、数年くらいうまく行きませんでした。その頃に、宇宙で高品質な結晶を作るプロジェクトがあるということを知ったので、宇宙実験に応募してみようということになったわけです。それが2011年のことですね。
現在の研究状況について
阪本先生
DPPにはいくつかの種類があって、それぞれが個別に働いています。例えば、DAP BII(DPP7)は疎水性または塩基性のアミノ酸を認識して切断します。一方、DPP11というのは酸性のアミノ酸を認識します。これらの酵素は人間にはなくて、微生物しか持っていません。つまり、これらの酵素の働きを抑える薬を作ることができれば、人間にとっては無害で、菌の増殖だけを抑えてくれるということです。
他にもプロリンというアミノ酸を特異的に認識するDPP4という酵素があります。ただ、DPP4は人間も持っているので、最初は抗菌薬開発のターゲットには向かないかなとも思いました。しかし最近の研究で、人と微生物のDPP4は同じプロリンを認識するのでも、その認識の仕方が違うことがわかってきました。DPP4は宇宙でも結晶化していますが、プロリンの結合様式を詳細に比較できるようになれば、微生物のDPP4にだけ効いて、ヒトには悪影響を与えない薬が作れるようになるのではないかと思っています。
タンパク質は細菌外でアミノ酸が10個程度につながったオリゴペプチドまで分解され、ペリプラズムという領域に運ばれる。 しかし、ペリプラズムから細胞内にペプチドを運ぶ役割をするペプチドトランスポータは、ジペプチドとトリペプチドしか通さないため、オリゴペプチドの状態では細胞内までは運ばれない。ペプチドをN末端からアミノ酸2個ずつ(ジペプチド)に分解する酵素はDPPと呼ばれ、種類によって認識するアミノ酸が違う。DPPの働きを抑えると、細菌が増殖しにくくなる。
そもそも歯周病菌は、なぜアミノ酸ではなくジペプチドを利用するようになったのでしょう?
阪本先生
それはわかりません。でもヒトでも、腸管での吸収はアミノ酸よりもジペプチドの方が早いことがわかってきています。ジペプチドの状態で取り込んでも、結局、細胞の中で1個に分解しているんですけどね。
小笠原先生
カビは栄養源としてセルロースを利用しています。アミノ酸と糖の違いはありますが、やはり二糖の形で取り込んでいますね。でもなぜだかは分かりません。他の菌に取られたくないとか、周りの環境とうまく共存するための戦略とか、色々想像はできますが…。ちょっと話は変わりますが、ヒトはアミノ酸の吸収において、単体のアミノ酸よりもジペプチドやトリペプチド状態で取り込んだ方が下痢をしにくいシステムを昔から持っているようです。
また、早稲田大にアミノ酸とアミノ酸を結合させるのが得意な先生がいるのですが、その先生が言うには、舌にはジペプチドを認識するセンサーがあって、塩とあるジペプチドを一緒に摂取すると、塩分を感じる力が強くなることを発見したそうです。高血圧の人など、塩分の取り過ぎを気にしなければいけない方たちは多くいるわけですが、このジペプチドを利用すると、より少ない塩分で十分味を感じられるということですね。 その他にもペプチドがいろいろな機能を持っていることがわかってきています。アミノ酸は基本的に20種類あるわけですが、その組み合わせを考えると膨大なコンビネーションがあります。
確かに、医薬品の前駆体やサプリメントとしてペプチドが利用されているという話をよく聞くようになりました。
小笠原先生
そうですね。ペプチドはこれからますます注目されていくと思います。
研究成果と
今後の展開について
これまで多くの成果を出されていますが、研究史上、最も驚いたのはどんなことだったでしょうか?
小笠原先生
タンパク質分解酵素というのは数多くありますが、その中でもDPPはとても変わっています。あまりに変わっているので、最初は間違いじゃないかと思っていました。それが間違いじゃないとわかったときは非常に驚きましたね。更に構造を解いてみたら、パックマンみたいに「がぼっ」とペプチドを食べているのがわかりました。普通のプロテアーゼは顔の上半分しかないんです。それが構造を解いてみたら顔の下半分もついていたので、とてもびっくりしました。その後、ペプチドを食べている最中と、完全に口を開けているのと、口を閉じているものの構造が明らかになりました。データを並べるとアニメーションみたいで、「おぅー!」となりましたね。酵素の働きを模式的に示すのに、顔の形を利用して説明するのは良くあって、教科書とかにも載っているんですが、本当にいるんだぁと(笑)。
確かに、酵素を説明するときによくある形そのままなので、びっくりしました。
今後はどのような展開を考えておられるのでしょうか。
小笠原先生
私の研究対象である微生物の話で言うと、口の中や腸だけでなく、心臓にも菌がいることがわかっています。今は、ヒトの体のどこに菌がいるのか、またその菌が作った酵素などが、例えばヒトのホルモンにどのような影響を与えているのかを調べたいと思っています。
歯磨きをしないと心筋梗塞になりやすいという話を聞いたことがあります。
小笠原先生
そうですね。細菌は心臓とかいろんなところにいることがわかってきていて、Natureなど主要な論文雑誌にも載っています。心筋梗塞や脳梗塞の原因の一つになっていると考えられていますが、この研究領域はまだわからないことがたくさんあって、その基礎を作っている段階です。
学問として、わからないことがいっぱいあるということがわかってきた、ということでしょうか。
小笠原先生
そのとおりです。まだまだやることはいっぱいあるということですね。
阪本先生
私はまず、応用面では抗菌薬の開発を目指します。学術的には、ペプチド取り込み機構の全容を解明したいですね。細胞外でDPPによって産生されたジペプチドは、ペプチドトランスポータという別のタンパク質によって細胞内に運ばれます。
人の場合にはトリプシンというプロテアーゼとペプチドトランスポータが複合体を作っていることが知られています。DAPBIIもトリプシンに似た構造をもっているので、もしかしたら微生物でも人と同様にペプチドトランスポータと相互作用しているかもしれません。
ジペプチドにしたものをすぐ細胞に取り込めるように、DPPがペプチドトランスポータの近くで待ち構えているかもしれない、ということでしょうか。
阪本先生
その通りです。そうなっていたら非常に面白いですね。もしそれがわかれば、単純に酵素の阻害だけでなく、受け渡しのところを止めたり、複合体になることを阻害したりするような薬を作ることが出来るかもしれません。
宇宙実験について
宇宙実験についてお聞きしたいのですが、そもそも子供の頃は宇宙に興味がありましたか?
阪本先生
国立科学博物館のロケットを見るのは好きでしたね。あと、小学生の頃はブルーバックスの宇宙に関係する本をよく読んでました。博物館特集があって、スミソニアンは死ぬまでに行きたいなぁと思ったのを覚えています。あそこは特に航空宇宙博物館がすごいですから。
小さいときには宇宙博に行きました。星を見ることより、スペースシャトルなど機械ものに興味があったみたいですね。
小笠原先生
私は家に小さい顕微鏡と天体望遠鏡がありました。台風が過ぎた後に父親と一緒に山の方に行って、これまで見たこともないような星空を見せてもらったのは今でも忘れられません。田舎で暗いから星はいっぱい見えました。今思えば、明らかに人工衛星なんですが、空を動く光るものを見てUFOじゃないかと近所の人と一緒に騒いだりとか。宇宙には良いイメージがいっぱいあります。あとは、月刊ムーとかも読んでました(笑)。
宇宙で実験をすることになると考えたことはありますか?
阪本先生
全く無かったですね。想像もしなかったです。そんなことができるのかという感じでした。そもそも、自分がやっている構造生物学と宇宙実験が結びつくという発想がなかったです。
JAXAの宇宙実験のことは、どのような経緯でお知りになったのでしょうか?
阪本先生
昭和大の田中先生(昭和大学薬学部 田中信忠准教授)がもともと利用されていました。私の結晶の分解能がなかなか上がらないことをご存知だったので、使ってみたらと紹介頂いたのがきっかけですね。
学会などに参加して宇宙実験の説明をすると、「実験自体は知っているが、まさか自分が参加できるとは思っていなかった」という意見をたくさん頂きます。もちろん、タンパク質をご準備頂く必要はあるのですが、宇宙実験は特別なイメージがあるのか、現実の参入の容易さとのギャップがあることをひしひしと感じていますので、我々も努力してうまく伝えていかなければ、と思っています。
阪本先生
我々は宇宙実験参加後、幸いにして成果が出ています。試料調製では小笠原先生に負担を掛けていますが(笑)。
我々の方も、共同研究先である産総研からいろんな薬剤化合物の候補があるからどんどん構造を解きたい、とせっつかれている状況です。
小笠原先生
うまくいっているときには加速感をもってやるのが重要なので良い事だと思ってます。学生にもサンプル間に合わないぞ、やばいって。
阪本先生
確かに、実際、宇宙実験に参加したお陰で研究は加速していますね。
更に負担を掛けてしまうことになるかもしれませんが、これまでの20℃実験に加えて、4℃実験も開始していますので、こちらもご利用頂けます。
阪本先生
あ、そうなんですか!だそうです、小笠原先生。タンパク質調製をよろしくお願いします(笑)。
宇宙でうまくいった決め手みたいなものはあるのでしょうか?
阪本先生
なんでしょう、私も知りたいです。対流抑制と言いますが実際に目で見えるわけではないですしね。ただ、事実として実験データを比較すると宇宙で得られた結晶だけ分解能があがっています。
宇宙から帰ってきた結晶の分解能が上がっていた時はやはり嬉しいですか?
阪本先生
そうですね。良し、来たっ!て感じです。
宇宙実験参加当初と比べて、印象は変わってきましたか?
阪本先生
今、宇宙実験に参加して6年目でなんですが、宇宙実験の間隔が短くなってきて、どんどんあげられるようになってますよね。前回の実験結果をすぐにフィードバックして次の実験に活かせるので非常に助かっています。その分、試料調製やデータ解析は大変ですが、いつも色々とフォローしてくださるので、非常にありがたいです。
他の先生にもお勧めできるでしょうか?
阪本先生
もちろんです。ただ、他の先生にも勧めたいんですが、あまり勧めると自分の実験機会が減ってしまうのではと思って、あまり積極的には紹介していないです(笑)。
学生時代
研究者になる前のお話をお聞きします。小笠原先生はどのような学生時代を送られていたのでしょうか?
小笠原先生
私は岩手出身なんです。勉強はぼちぼちってとこでしょうか。家は農家だったので、農家の大変さとかタフさとか、あとはマネージメントみたいなことも、そばで見てて勉強になりました。
中学を出たあとは八戸の高専(八戸工業高等専門学校)に入りました。高専は5年制なので、勉強の続きをしたい人は大学へ編入します。高専では化学を勉強していたんですが、生物も好きでした。その頃に青山安宏先生(長岡技術科学大学教授)と出会って、長岡技科大に新しく生物機能工学課程というのが出来るからどうかと勧められました。つまり、私はこの課程の1期生ということですね。1期生ということで、あまり物もなかったけれど、先輩もいないし、色々トライできる環境ではありました。この研究の共同研究者である昭和大の田中先生と私が同期で1期生です。現在、KEKで構造生物学研究センター長をされている千田先生も、東大の大学院に進まずに長岡技科大に来てたりして、先生も学生も人材豊富で非常に鍛えられましたね。
そのまま、ドクター(博士課程)に進学しました。ちなみに、ドクターの間は親から一円ももらわないって約束で私も兄貴もやり切りました。今の若い子たちの中にも、ドクターに行くかどうか迷う子がいます。特に高専から編入してくる子はそうですが、バックグラウンドが違うとか、お金の面で不安だとか。でも何とかなるもんですよ。
今でも高専に行く機会があるんですが、良く聞くのは、普通の高校に行って大学に行ったほうが良かったんじゃないか、って悩みですね。でも、高校の3年間の授業でやりたいことを見つけたり、先生が向き不向きを的確に見極めたりするのも難しいですよね。そういう意味では、高専はやりたいことを見つけられる時間が少し長いですし、実際に手を動かしたり体験したりする時間が多いので、そこは良いところだと思います。
高専の教授が岩手大学の教授になったときに、ちょうど博士の学位を取得するときだったので、先生から呼ばれて岩手大の助手になりました。でもその1年半後にはイギリスに留学させてもらいました。普通は着任早々に留学はさせてもらえないと思うんですが。やりたいことをしっかり言うのは大事だなぁと思いましたね。
高専では化学をやっていて、大学では生物をやりました。岩手大ではまた化学をやることになったんですが、留学をする際に教授から「遺伝子と無機化学を融合してくれ」って言われました。生物と化学を繋げてくれってことですよね。すごい大変だなとは思いましたが、逆にチャンスだとも思いました。
例えば海にいるウニのトゲは無機物主体の構造物ですが、ウニ自身が作り出しています。生物の機能は遺伝子が制御しているわけですから、この辺りの研究が対象になるかなと思いました。ちなみに生物が無機鉱物を作る作用のことをバイオミネラリゼーション(注1)といいます。当時、バイオミネラリゼーションの研究はイギリスが進んでいたので、それでイギリスに行こうと思いました。
(注1)生物が無機鉱物をつくる作用(生体鉱物化作用)のことで、貝やウニ等の海洋生物での生体鉱物化作用が有名。それら生物内の鉱物イオンを捕まえる機能があるペプチド・タンパク質によって、海洋中に溶け込んでいる各種鉱物イオンを捕集、濃縮して、貝殻やトゲ、真珠等が作られる。
バイオミネラリゼーションという言葉は最近、良く聞くようになりました。非常に面白い分野ですよね。 阪本先生はどんな子供時代を過ごされたのでしょうか?
阪本先生
小学生の頃は博物館に行くのが好きでした。埼玉県に住んでいたんですが、国立科学博物館とか逓信総合博物館とか科学技術館とかに一人で行ってましたね。 中学校の時に科学部に入って3年生の時には部長までやりました。3年生の夏休みには、つくばの実験植物園で夏の学校というのがあって、植物園の研究者と一緒に研究の真似事みたいなことをやらせてもらいました。八田洋章先生(国立科学博物館名誉研究員。農学博士)という方がいらっしゃって、一緒につくば山の植生調査とか押し花ならぬ押し木、押し草などもしました。
つくばには子供の頃から縁があったということですね。
阪本先生
そう言われてみればそうですね。
高校は、中学校の科学部の先輩がいたので吹奏楽部に入りました。吹奏楽に打ち込みすぎて勉強を全くやらなかったので、本当に学年最下位みたいな感じでしたね(笑)。
一同(笑)。
吹奏楽では何を担当されていたんですか?
阪本先生
ホルンをやっていました。3年生の時に関東大会まで行きましたね。関東大会は9月にあるんですよ。(受験までの期間を考えると)もう終わってますよね。やっぱり男子は全員浪人してました。。。
高校生活を吹奏楽に捧げたんですね。
阪本先生
そうなりますね。その後、浪人して、大学は日本大学短期大学部の応用化学科に入りました。 でも元々は生物が好きだったので、自分なりに生物を学んで、長岡技術科学大学の編入試験を受けました。編入試験は日大の先生が勧めてくれました。編入してみてわかったのですが、編入生は高専出身者がほとんどでした。短大からの編入は私が初めてだったみたいです。
その後、長岡技科大に移って受けた三井先生の授業が面白かったんです。その授業の内容がタンパク質の構造解析でした。後に三井教授の研究室に所属したのが、この道に入ったきっかけですね。
阪本先生のご経歴は、研究に興味はあるけど自信がない若い人たちに勇気を与えてくれそうですね。
阪本先生
そうだといいんですが。
今、そこの高校のスーパーサイエンスハイスクールの運営指導委員をやってますよ。(当時のことを考えると)なんで呼ばれたんだろうって感じです(笑)。
先日、その高校の課題研究発表会に出席したのですが、私では考えもつかない発想で様々な研究テーマを設定し、研究を実施していることに驚きました。私の研究発表よりも場馴れしていて、高校生に負けてしまいそうです。
お話を伺っていると、人生の転機となるような方との出会いが何度もあったということでしょうか。
阪本先生
やはり人との出会いですよね。科学部の顧問の先生との出会いや日大の先生、長岡技科大の三井幸雄先生、岩手医科大の野中孝昌教授。これらの先生方との出会いがなければ、今はないですね。出会いを大切にしてきた結果、今このように研究をさせてもらっていると感じます。
会社に就職しようと考えたことはありますか?
阪本先生
長岡技科大は修士課程への進学が前提だったので、大学院に行くことは決まっていました。その後も就職のことはあまり考えていなかったんですが、M1(修士課程1年)のときに三井先生から博士課程に行く気はないかと聞かれて、そのまま進学を決めました。
三井先生には、学部生の頃から外に出してもらって、いろいろと経験させてもらいました。M1のときにはつくばの高エネ研のビームラインアシスタントとして放射光施設のアライメント業務もしました。その後は、東大の名取研に1年間行きましたし、山之内製薬にもインターンとして半年間行きました。そのときの上司が、今、創薬研究を一緒に実施している産総研の阪下さん(阪下日登志 博士。産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門 総括研究主幹)です。色々な人と出会わせてくれたのが三井先生でしたね。
まさに恩師という感じですね。
若い人たちに向けて
研究に興味がある若い人たちもこの記事を読んでいると思いますので、何かメッセージを頂けるとありがたいのですが。
小笠原先生
若い人に言いたいのは好きなことをなるべく早く見つけること。ただし、特化することも必要だけど、教養も必要です。ケンブリッジ大学のある先生も、「好きなものがあるのは重要。ただし、興味が狭すぎるのも良くない」と仰ってました。 あと、身体を動かすことも大事ですよ。今の学生は真面目すぎて、ほっとくと実験ばかりしてるので。楽しくやることも必要です。
ただ、私の場合はむしろ、嫌いなものがはっきりしてましたね。もちろん、嫌いだからやらなくていい、というわけにはいかないので、割り切ることも重要です。研究をやっていると、うまくいくことばかりではないですし、辛いことや苦しいこと、悔しいことなんかもたくさん経験します。会社勤めでも、プロジェクトが何かの都合で突然終わることもあるでしょう。そんなときでも腐らず前に進めるように、若いうちににいろんなことを経験しておくことをおすすめします。
そういう意味で、長岡技科大のシステムは他の大学と比べていろんなことが経験できると思います。実は長岡技科大は「人事が見た大学イメージランキング」で1位になったこともあります。長岡技科大は高専出身の学生が多く編入してきます。大学3年生になるわけです。そうすると、高専の先生が既に実験の指導をしてくれているので、大学側では実験をスムースに開始できます。長岡技科大の先生、そして高専生にとって、研究面で大きなアドバンテージだと思っています。実際に大学で実施する研究分野と違うかもしれませんが、実験経験があるのとないのとでは大違いですね。うちの課程は3年後期から研究室に所属するので、大学院博士前期課程も合わせると3年半じっくり研究できる強みがあります。
それに、4年生のときには企業とか産総研のような研究所、あるいは海外の研究室へのインターンシップ制度があります。企業とか研究所は、研究だけでなく安全等についても厳しいので学生は非常に鍛えられます。親が怒っても子供は言うことを聞かないかもしれませんが、外で言われると効き目が全く違いますね(笑)。インターンに行った学生はみんな、別人のようになって帰ってきますから。そういう意味でも、場数を踏んでいくことは重要です。賢い学生はいっぱいいますが、タフな人間を育成するのは大変ですよ。でも研究には非常に重要な要素です。
高専は、北は旭川から南は沖縄まで全国で51校あるんですが、全国から学生が集まってくるので、多様性があって面白いですよ。そういう大学はあんまりないので、それも特色ですね。研究も非常にやりやすい環境です。
阪本先生
私も、夢や、やりたいことを見つけることがまず重要だと思います。必要だと思わないと、勉強する気も起きませんしね。夢をもって自分でつかみとる努力をしないといけないかなぁと。例えば、私もJAXAの応募に申請しなければ、こんなに研究は進まなかった。だけど、こういうことは後になって気づくものだから難しいですよね。せめて人や物との出会いを大事にして、チャンスがあったら逃さないようにすることでしょうか。私の場合はとにかく本が好きでした。
なるほど。そういう意味でも、なるべく早く実学に触れたり、いろんなことを経験すると、それに必要な勉強がわかって、モチベーションにも繋がるかもしれませんね。
阪本先生
うち(岩手医科大)も夢を持ってる学生はあまり見かけませんね。薬学部の学生のほとんどは、入学時から医療機関で働く薬剤師を目指しているので、研究者を目指す人はあまりいません。実際に研究室に入って研究に触れてからどう感じているかはわからないですけど、非常に現実的ですね。もっと冒険していいと思います。大学教員の研究者としての一面も見てもらって、薬剤師として活躍する場所を広げてほしいですね。
研究は面白いと、学生に伝えることはありますか?
阪本先生
こっちから面白いとは言わないですね。
自分が楽しくやっているのを見てもらって学生も実際にやって面白いと感じてもらえればそれで良いと思ってます。
学生のうちにやっておいた方が良いことはあるでしょうか?
阪本先生
私の場合は部活にのめり込みすぎて大変なことになってしまったんですが、人と協力して一生懸命に何かに打ち込むというのは大事なことだと思います。 研究は一人でできませんし、実際、今も色んな方と共同研究をしています。そこで必要な調整能力とか協調能力とか、そういったものは部活の経験で培ったものが非常に役立っている気はします。
小笠原先生
日本全体がそうなのかもしれませんが、楽しくやらないと限界が来ると思います。うちの学生は土曜日にいっても全員実験しているんです。君たち大丈夫かと思うけど、やりたくてやっているのでそれはそれでうれしい。いつ、どこでやりたいことが見つかるかは人それぞれなので、早いに越したことはないけど、見つからないからといって、自分にしらけないようにとは言ってます。私達は尾崎世代だから基本的に熱いんですよ。学生にもやりたいことが見つかったときにすぐ動けるように心構えだけはしとけと言ってます。校舎の窓を割るほど激しくなくて良いけど(笑)。 あと、やっぱり本はいいですよ。裏切らないし、色んな蓄積になるので。
インタビューを終えて
研究成果を数多く出されている先生方ですが、研究者になるまでの経歴が非常にユニークで、研究者に興味がある皆さんはとても新鮮かつ勇気づけられる内容だったのではないでしょうか。
お話を伺った学生さんも、皆さん真面目で穏やかな方ばかりでした。指導されている先生の影響も大きいのかもしれませんね。
今後も、阪本先生、小笠原先生のご活躍に期待しましょう!