開催結果報告

第1部 「こうのとり」から得たもの、羽ばたいたもの

第1部では、こうのとり開発企業のプロマネ及びJAXA職員(FD)より、HTV開発・運用がもたらしたコアな技術(飛行運用管制技術,トラポン,電池,ランデブ・ドッキング,スラスタ等)のファクトを中心に世界に通用している技術のアピールについて講演をおこないました。

阿部 直彦 様(三菱重工業株式会社 航空宇宙事業本部 宇宙事業部営業部長)

国際宇宙ステーションを支える日本の物資補給船 ―大規模システム開発とミッションインテグレーション―

阿部 直彦 様(三菱重工業株式会社 航空宇宙事業本部 宇宙事業部営業部長)

HTVは基本的に荷物を運ぶビークルです。地球から荷物を運ぶいわば宅配便です。なぜ日本が「こうのとり」をやっているかというと、世界の国々と宇宙ステーションを建設し、運用・利用して行く中で、役割分担されたことを日本が果たして行くというのが第一です。宇宙ステーションの運用に関わっているのは、アメリカ・ロシア・日本・カナダ・ヨーロッパの国々です。また、宇宙ステーション内に独自のモジュールを持っているのは、アメリカ・ロシア・日本・ヨーロッパの国々で、カナダはロボットアームを担当しています。

荷物を運ぶビークルの中では、「こうのとり」とATVは、6トン7トンといった大量の荷物を運ぶことのできる大型ダンプのような能力を持っています。それに対して、ドラゴンやプログレスというのは軽トラックのような能力で、こまめに少量の荷物を運んでいます。HTVの特徴としては、非与圧部というところに、1.5トンという数字が入っています。(これは)HTVは世界で唯一、曝露部という、宇宙空間に曝露されている環境に使う荷物を運ぶことができます。例えば、バッテリー等、有毒性があり、人が入る空間にあるとまずいもの。そういったものを運べるという点で、非常に貴重な存在になっています。

HTVのシーケンスシーケンスは、打ち上げから約15分から16分程でロケットから分離されて、1週間程かけてステーションにたどり着きます。その後ステーションの真下10mぐらいのところで相対的に止まり、それをロボットアームで掴み、ステーションに取付けます。1ヶ月から2ヶ月程の滞在の間に、宇宙飛行士達が荷物をステーション内に運び入れ、最後に、ステーション内のゴミ(不要物)を積み込んだ状態で大気圏に突入し燃え尽きます。

今のHTVで何が一番特徴的かというと、技術的なところは多々ありますが、設計思想の面で日本では今までにない設計思想があります。それは有人というところが非常に大きいですが、1フェイルオペ(オペラティブ)・2フェイルセイフというものがあって、それはHTVの開発によって初めて触れたものになります。要するに、1つの故障が起こってもミッションを継続できる、2つの故障が起こっても安全は保てる仕組みです。このように単純にみると、3つの同じ冗長系があればいいのかと思ってしまいますが、我々がNASAに言われたのは、2つの冗長系は同じものでもいいが、3つ目は違う冗長系にしなければならないということです。どういうことかというと、同じ設計であれば同じ過誤が潜みうるわけで、同じように故障するかもしれない。従って3つ目は違う設計思想を持ったものでなければならないわけです。それで、本来3つ載せれば良いところを、2つプラス1つ載せているということになります。

もう一つの大きな特徴としては、大きな輸送能力、与圧部という部分に最大5.2トン、それから非与圧部に1.5トンそれを、トータルで6トンに抑えるということになります。 「こうのとり」には、ロケットに対する非常に厳しい要求があります。それは、HTVはステーションにドッキングするので、ステーションと同じ軌道に入らなくてはならない。従ってステーションが丁度種子島の上を通過した時に打ち上げなくてはならず、1、2秒の精度でもって打ち上げなければいけないわけです。それを支えるのは、ロケットのオンタイムでの信頼性です。H-IIA含め、これまで過去十機では、ほとんどが定刻に打ち上げられています。中でも、「こうのとり」をのせたH-IIBは、一秒以内の精度で打ち上がりました。

最後に将来への期待ですが、HTVは有人にも対応しており、大きな輸送能力を持っているというところで、NASA、ヨーロッパ、ロシア、世界で考えられている、月探査にそれなりの役割を担うことが出来るとみているし、そこに荷物を運ぶビークルとしての発展も考えられます。さらに、開発者の悲願でもありますが、(打上げて荷物を宇宙へ持って行き)今「持って帰る」というところが抜けています。それがないと、日本としての自立性というのはクローズしないというのがあって、どうしてもその機能を持ちたいと思っています。そういう意味で、カプセル、さらにそれを大きくしていって、最終的に有人というところまで行き着くようにして行きたいと思っています。

小山 浩 様(三菱電機株式会社 電子システム事業本部 宇宙開発利用推進室長)

ランデブ・ドッキング技術 ―Leading Edge Technologyの開発と国際展開―

小山 浩 様(三菱電機株式会社 電子システム事業本部 宇宙開発利用推進室長)

三菱電機は、HTV開発に関して、全体をステーションに近づけるランデブをつかさどっている電気システム。あとはHTVを地上からコントロールする運用管制システム、宇宙ステーションに近づいた時に通信を行う近傍通信システム。こういったところを中心に参加しています。

このランデブ・ドッキング技術というのは、HTVということで突然出てきたに思われますが、実用に至る迄には実は相当に長い歴史があります。その歴史を今日ご紹介します。宇宙のビックシステムとして典型的なのは、GPSシステムです。また今は退役しましたが、スペースシャトルシステムというのがあります。まずGPSシステムですが、最終的に24機全て整うまでに、約30年かかっています。次にスペースシャトルシステムですが、面白いことにほぼ一致しています。スペースシャトルは、実用機に至るまでに色んな試験飛行機を飛ばしています。実用段階に至るまで、約30年かかっています。

これに対してHTVは、やはり面白いことにこちらも30年。やはりこういった巨大な宇宙システムの開発には、これくらいのタイムスケールがかかるということがわかります。
HTVのランデブ・ドッキング研究のスタートは1979年にさかのぼります。当時、航空宇宙技術研究所(NAL)と宇宙開発事業団(NASDA)の共同研究が始まったのが丁度、1979年になります。そこから順を追ってステップアップしてきたのがHTV実現までの歴史ということになります。

ランデブの歴史ですが、まず基礎研究のフェイズが10年ぐらいありました。その後1995年にスペースフライヤユニット(SFU)というシステムを打ち上げ、1年弱宇宙で色々な実験を行ったのち、あるところまで移動後、地球から打ち上がったスペースシャトルがロボットアームで回収し、持ち帰るというミッションです。このロボットアームの操作をしたのが、若田宇宙飛行士です。この後、技術試験衛星Ⅶ型というJAXAさんのミッションがありました。SFUは、地上から打ち上がって、宇宙のある地点まで行くというところまでのミッションでしたが、こちらの技術試験衛星Ⅶ型は、相手の周りを自由に動き回る技術の獲得を目的としたミッションでした。これは1997年に打ち上げられ、2、3年ぐらい実験をしました。こういった技術を元にして2009年、HTV初号機が打ち上がった訳です。この打ち上げまで、基礎研究を含めるとやはり約30年の積み上げが必要だったということになります。

この積み重ねの第一ステップとなったSFU(Space Flyer Unit)についてご紹介したいと思います。正式名称は、宇宙実験観測・フリーフライヤーで、これは日米の国際協力ミッションとなっていて、1995年に打ち上げられ、およそ10ヶ月間、軌道上で色々な実験を行ったのちにシャトルに回収してもらうというものです。あらかじめ決めていた場所、そこで待機していて、スペースシャトルが回収に向かうというミッションです。軌道のあるところからあるところまで移動して待っている技術、回収してもらうための技術。そのような技術がSFUの中で獲得していったということになります。

今のカーナビで当たり前に使われるようになったGPSを、初めて本格的に利用し飛行したミッションでもあります。また宇宙の中で、あるところからあるところまで移動する遠方ランデブと呼ばれる技術、これを確立したのもこのSFUです。Lesson & Learnedが、アメリカのシャトルと通信、ランデブする技術を獲得していって、結果HTVの開発に利用されているということになります。 この次のステップが、技術試験衛星Ⅶ型になります。二つの人工衛星、「おりひめ」と「ひこぼし」衛星が、くっ付いた状態で打ちあげられます。打ち上げ後、この二つの人工衛星を分離したり、再度ドッキングしたりしながら実験を繰り返したのが、この技術試験衛星Ⅶ型の実験です。
相手の人工衛星の近くで、自由に動き回る技術を、色々なパターンで実験しています。遠ざかって行く技術や、再度GPSを使って近づく技術、お互いのドッキングに向けて高い精度で誘導する技術、こういったものを「おりひめ」・「ひこぼし」衛星の中で確立して行きました。下から回り込んで接近する飛行パターン、HTVもこの接近パターンをベースに設計されています。

この実験では多くのことを学ぶことができました。自在に宇宙を動き回る技術はもちろんですが、実は2回目の実験のときに、不具合(アノマリー:異常事象)が発生してしまいました。具体的にいうと噴射装置、ガスを噴射して位置を変えるためのもの。このうち何本かが、ある瞬間に動作しなくなってしまうという不具合です。こういった事態に対して、どう対処(リカバー)したらいいのか、その経験も得ることができました。

これらはHTVの開発に生かされて行きました。遠くから近づく技術、近くを動き回る技術、これに有人の技術が加わることによって、HTVのシステムはできています。HTVの接近パターンは、「おりひめ」と「ひこぼし」衛星の接近パターンと非常に似ていることがわかると思います。このように、SFU、「おりひめ」・「ひこぼし」衛星の実績の上に、HTVの実現がなされています。 HTVは、有人の技術がプラスされたわけですが、これは、NASAの安全要求に基づいたものになっています。異常事象の要因になるようなものを、徹底的に排除しなさいということと、万が一異常事態が起こっても、うまくコントロールして、ハザードを防止しなさいということです。

例を二つ挙げます。一つは、原因を排除すること。このHTVの接近の軌道の中で、HTVがまったく制御が利かなくなったとしても、宇宙ステーションに絶対にぶつからないような軌道設計の例を示したものです。
また、万が一起きてしまった場合、先ほどでてきた2重システム、冗長系それプラス全く別の第3のシステムによって、確実に遠くにぶつからずに逃げられる装備をして対処しています。

この成果は海外でも高く評価されています。中でもOrbital Sciences社は、アメリカ版の輸送船をつくっていますが、そのシグナス宇宙船の近傍通信システムに、HTVの技術を使いたいというオファーがありました。結果、Orbital社とうまく折り合ってきて、10年から14年にかけて九機分、納入することになりました。このように、海外からのオファーを受けることもできるようになってきました。 こういった大きなシステムは、直近の5、6年ではなくて、数十年のスパンを視野に入れたニーズ分析が必要だと感じました。また、段階的・体系的な技術開発・実証ということが本当に大切だと考えています。

今回のHTVのような国際プロジェクトの推進において私たち企業は、国際競争力向上を強力にバックアップしていただいたということになります。

村上 淳 様(株式会社IHIエアロスペース 営業部次長)

「こうのとり」から得たもの ―世界で戦う製品―

村上 淳 様(株式会社IHIエアロスペース 営業部次長)

三菱重工さんという大きな会社が、HTV全体をまとめていて、さらに三菱電機さんという、これも日本を代表する大きな電機メーカーで、それに対し我々のメーカーは中小企業とまでは行かないですが、1000名足らずの会社で、「宇宙」を専業としている会社です。三菱電機さんがHTV頭脳というキーになる部分を担当しているのに対し、我々はもっと泥臭い部分、良く言えば力を出すところですが、“コテコテのハード屋さん”といった感じでやっています。
三菱電機さんが指令を出したときに、手を動かしたり足動かしたり、(サッカーの)「なでしこ」でいうところの澤さんのような感じだと思ってくれていいと思います。

「「こうのとり」の三本の矢」という風に勝手に付けていますが、我々は小さい矢ですけれども、この矢がないと、やっぱり「こうのとり」はうまく飛んで行かないわけです。この小さなエンジンで、「こうのとり」の色々な動きを支えています。
HTVが種子島から打ち上がって、ステーションに三菱電機さんの指示で徐々に近づいていって、我々のエンジンで実際に動く、ということになります。「こうのとり」は、実際には非常に高速で走っています。新幹線の百倍ぐらいの速度で走っています。それで追いついて、正確な位置にたどり着かないと、ロボットアームで掴んでもらえません。その位置をきちんとコントロールしているのが、我々のエンジンです。非常に大きなものです。今日(会場まで)バスで来られた方、ゆりかもめで来られた方いると思いますが、バスと同じくらいの大きさのものを28個のエンジンでコントロールしています。

宇宙ステーションは実際には凄いスピードで動いていて、それに対して如何に精度よく位置をコントロールできるか、ということなので、確実に動いてもらわなくてはいけない。

先ほど「おりひめ」・「ひこぼし」衛星のときうまくドッキングできなかったという話がありましたが、あのとき使われていたのも我々のエンジンでした。(会場笑)そういうこともありまして、長い歴史を経て、ようやく有人技術というところまでたどり着いた、ということになります。
結局我々が「こうのとり」に関わって、何が良かったかというと、最初は我々のエンジン使って欲しいなぁ、と思ったこともあったのですが、実績もないのになかなか使えないと言われて、(HTVは)最初は海外のエンジンを使っていたのですが、頭脳である三菱電機さんの高い要求に答えられずに、なかなかうまく性能がでないというところがありました。そこら辺のところをうまく乗り越えてきたわけです。

元々、このエンジンは、シグナスにも使われています。そういったことから、非常に難しい問題を解決してきたわけです。その後、やっぱり国産のエンジンを開発したいということで、苦難の末ですが、3号機から採用されています。将来的には、シグナスだけでなく世界で使ってもらえるものにして行きたい、世界で戦って行きたい、と考えています。

次に、アイボール(i-Ball)です。馴染みがないかもしれませんが、HTVは再突入して燃え尽きますが、燃え尽きる前に色々なデータを取りたいと、将来的なこと、有人機を開発するとか、そういったことに繋げたいということで、我々はこのアイボールというもの、これを社費でつくりました。社長から「これは何のためにやるんだ?」という厳しいお言葉を頂いた中、幸い15枚程画は撮れましたが、ほとんど真っ暗だったのですが、その中で、大気圏での写真を撮ることができました。

これは、将来的には海外のロケットにも使ってもらって、また軌道上のデブリの問題や、皆さんの関心が非常に高かったはやぶさなどにも我々の技術は使われています。そしてこれが、将来世界で戦える回収機となれるように、我々は望んでいます。これが社費を投じてでもつくったというところだけ強調させてもらって終わりたいと思います。

山中 浩二(JAXA HTV一号機リードフライトディレクタ)

世界が信頼する運用管制技術 ―ゼロからの挑戦―

山中 浩二(JAXA HTV一号機リードフライトディレクタ)

2009年にHTV1を成功することができました。その瞬間管制室は、それまでずっと何も音がしない状態だったのですが、キャプチャが成功した瞬間は、大歓声があがって何も聞こえなくなりました。そこから遡ると、さっき小山さんも長い話だと言っていましたが、我々オペレーションの世界も長い歴史があります。

今でも覚えていますが、最初にヒューストンに行ったのは、1994年の第1回HTV技術調整会議。そのときNASAは宇宙船をつくった経験が何もない日本とは、大人と子供以上の差だったなと思います。現在では、HTVの運用管制システムは国際的にも高い信頼を受けています。例えば、NASAの要員の訓練を支援してくれないかとか、米国の民間宇宙船の運用の協力をしてくれないかと、言われるところまできました。
「そもそもどうやって掴まえるのか?」というところから始めました。時速2万8千キロで飛んでいるわけですから、どうやって掴まえればいいかというところからNASAと話しはじめました。
たまにイメージとして使いますけども、「東京大阪間を1分ぐらいで走る2台のバスがあったとして、窓から手を出して握手するようなものだから」と。

基本的な技術はそれでよいですが、我々の仕事として考えなくてはいけないことは、例えばそこでハンドル切り損ねたらどうなるのか、タイヤがパンクしたらどうなるのか、ということの宇宙船版を、一つ一つ考えなくてはいけないということになります。ですからノミナル技術も難しいのですが、我々オペレーションの仕事は、想定外の状況にどう対応するかを考えるということが重要です。

例えば、「スラスターが暴発したら」とか「ロボットアームが異常になったら」とか「姿勢異常が発生したら」とか「クルーが掴み損ねたら」と、悪いタイミングでこれらが組合わさったらどうなるのかだとか、考えることはいっぱいあるわけです。
これを一個一個考えて行く。それで、「これなんかいい方法あるんですか?」と聞かれるのですが、答えは一つです。ひたすら地道に、一個一個先ほど挙げたようなものを、国際的または国内的に相談して行くしかない。我々の仕事の99%は非常に地道で愚直な作業の繰り返しです。HTVの手順書は1800以上、今はもっとあると思います。その殆どは使うことがないであろう、使わないことが望ましいもので、うまくいっているときは非常に少ない手順で飛ばして行けるのですが、もしものときを考えておくということが非常に大切なことだということです。

もう一つは違う側面ですが、HTVがISSに向かって飛んでいって、ちょっと実際と動きが違うぞとなったときに、国際間でその場で「もめ始めない」ということが大切なので、事前に考えておくというのがとても大切です。これも長い間NASAとやってきたことです。
国際間で事前に徹底的に話し合っておくということ。これは「事前に」というところが鍵で、ものが起きてからでは遅いので、実際に打ち上げる前に、徹底的に話し合って決めておくわけです。今この国際ルールは500項目以上ありますけれども、この何百ページものドキュメントに基づいて、我々はオペレーションして行くことになります。ですから、実際宇宙船が飛んでいったときにジタバタすることは基本的にない、ということになります。

もう一個違う問題があるのですが、我々はつくばに、NASAはヒューストンに、宇宙飛行士は軌道上にそれぞれいるわけで、そんなに離れた3局の同時運営をどうやるのかという問題と、それをどうやって訓練するのかという問題です。これは非常に難しい問題で、NASAともどうしようかとよく相談しました。

一つ良い策として、NASAが持っている宇宙ステーションのシミュレータと、つくばのHTVのシミュレータを繋いで、いつでもNASAとの合同訓練ができる。このシミュレータは今でも使っていますが、とても精度が高くて、実際に宇宙船を打ち上げているのか、シミュレーションしているのか区別がつかないぐらい高い精度のものです。
それで我々は、1号機の打ち上げ前に百回近く日米の合同訓練をしましたし、そのプロセスを通じて、NASAが長年培ってきた有人レベルの運用技術を我々は非常に学びましたし、チームとしても鍛え上げられました。

それから、この合同訓練を通じて、「世界で初めて無人の宇宙船をキャプチャする」という試みに、日米間で強い共通認識が生まれました。それがISSの一つのスタンダードになっていると。「何をしてはいけない」「何はしてもいい」という、宇宙船のキャプチャに対するスタンダードができたと思っています。

その他にも数えきれない程の国際会議をしましたし、膨大な量の情報交換もしましたし、徹底的な技術議論もしました。その中で、相互理解と信頼関係が生まれていったのかなと思います。 特にオペレーションの世界で一番大切なのは、「人と人との絆」なので、一日ハードな議論を重ねて、(夜は一緒に食事をして)というのを毎回して、徐々に「人と人」がわかり合っていったということです。
やっぱりISSのいいところは、様々な国が政治とかイデオロギーとかを超えて、一つの目標に向かっているところだと私は思います。そういう中で、オペレーションの世界では、特に人と人の信頼関係、友情のようなものが生まれたと思います。

こうして、2009年9月にHTV1を成功させることができました。このとき(キャプチャ)、私は初号機のオペレーションということでかなりプレッシャーを感じていたのですけども、同時に、宇宙と宇宙船と地球のコントラストが非常にきれいだなぁ、と思ってみていたのを覚えています。NASAの宇宙飛行士なんかも「金色に輝く宇宙船が飛んできた」と言ってくれましたが、本当に綺麗な宇宙船だなぁ、と思って見ていました。

2011年1月にHTV2が成功させることができました。HTV3号機は、非常にまた感慨深いところがありまして。星出宇宙飛行士が宇宙に行っているときで、私は星出宇宙飛行士と同期入社ですので、20年一緒にやってきて、我々が地球から上げた宇宙船が、彼によってキャプチャされた、もしくはリリースされた、というのは、20年関わってきて、「日本の宇宙開発はここまで来たんだ」という非常に感慨深い思いをしたのを今でも覚えています。
非常に沢山の手順書や国際ルール、訓練や調整、それからHTV1、2、3号機の運用、HTVの運用に関しては世界から信頼されるワールドクラスのものになったと思っています。
また、HTVで培ったランデブキャプチャ運用は、世界のスタンダードになったと思います。

あと、当然HTVは我々運用管制だけでなくて、射場チーム、それから技術支援、軌道上クルーといった人達に支えられて飛んでいます。皆さん多くの人の成果だと思います。
大変なことですが、大変だからこそ、いつも笑顔でやろうね、とうちのチームには言っていて、そういうチームになっていると思います。最後に喜べるために。もちろん日本の為にでもありますし、人類の未来の為に、とも思っています。

この場をお借りして、今日は関係者の方も沢山いらっしゃっていますし、インターネットを通じて観ている方もいらっしゃると思いますので、本当にお礼申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。