開催結果 REPORT

若田光一宇宙飛行士によるミッション報告

オープニング&ミッション報告 動画

半年間にわたった国際宇宙ステーション(ISS)でのミッションについて、若田光一宇宙飛行士が報告を行いました。報告では、滞在中に行った宇宙実験や天体観測をはじめとした任務のほか、若田飛行士自身の体を使った医学実験など多岐にわたった活動の詳細をステージ上の映像を使って具体的に紹介しました。任務の合間には、ボールなどを使ったちょっとした微小重力の不思議を伝える映像を撮影し、報告会場を沸かせていました。
また、日本人初の船長としてどんな気持ちで今回のミッションに挑んだのか、そして船長に選ばれたのは日本の皆さんの総合力の結果にほかならないと、感謝の言葉を述べました。

JAXA宇宙飛行士の若田です。今日は本当に多くの皆さんに集まっていただき、ありがとうございます。今回、約半年間の長期滞在を行いました。地上での訓練の時からISSでの滞在中、そして地上に帰還した後にいたるまで本当に多くの皆さんのご支援をいただきました。ここであらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。

ロボットアームを使って超小型衛星を放出

「きぼう」日本実験棟ではさまざまな実験や観測がありました。これは「こうのとり」という日本の宇宙船で届けた超小型衛星で、10センチ四方ぐらいのものです。その超小型衛星を「きぼう」の船内から、宇宙空間に物を出す通路「エアロック」を通して放出装置に取り付け、その放出装置自体を「きぼう」のロボットアームを使って所定の方向に持っていきます。私がパソコンから指令を出して、超小型衛星が放出されました。ロボットアームは、実は400㎞離れた茨城県の筑波から遠隔操作をしています。

半年の滞在中、私の腿(もも)の筋肉がどのように変化していくかを調べるために超音波の装置で測定しました。流れた電流の負荷に対して体を動かして筋肉を鍛える小型の装置は日本で開発されたもので、それを使った実験は、毎日行うトレーニングの効果的な方法を検討することが目的でした。このような小型の装置は宇宙だけではなくて、地上でも介護などに使える。そういう技術につながる実験です。


二つの宇宙船がISSに到着

半年間の滞在中には、実験装置や食料といったISSでの活動に必要な物を乗せた、アメリカの2つの宇宙船がやってきました。
まず、最初に来たのが「シグナス」というアメリカの民間商業宇宙船です。シグナス宇宙船がISSと最終接近する時に使われる通信用の機器は、実は日本の宇宙船「こうのとり」で開発された技術が使われています。このシグナス宇宙船は筑波宇宙センターの管制官がISSにドッキング時の支援をしています。日本の宇宙機の技術がそのままアメリカの商業宇宙船に使われている例です。
次にアメリカの別の宇宙船「ドラゴン」がフロリダ州から打上げられてISSにやってきました。このとき私がカナダのロボットアームを使ってドラゴンをゆっくりと捕まえる作業を行いました。


3月9日、いよいよISS船長に

3月9日にはそれまでISSの船長であったロシアのコトフ宇宙飛行士から船長の任務を私が引き継ぎ、その後約2カ月にわたってISS船長業務を担当しました。


地球への帰還

5月13日には、船長の業務を私の次の船長、アメリカのスワンソン宇宙飛行士に引き継ぎ、ISSを後にしました。
ソユーズ宇宙船がISSから離脱した後、4時間弱で地表まで降りていきます。
パラシュートで減速しますが、パラシュートが開く時の振動は非常に激しいもので、着地の時は地面に叩き付けられるような印象ですけれども、非常に信頼性の高い宇宙船でありまして、3人の仲間と一緒に元気に帰ってくることができました。
この時はロシアをはじめ、日本からも多くの支援チームの方が駆けつけてくれまして、ここに映っているのは健康管理をしてくださっているフライトサージャンのチームです。日本からも松本フライトサージャンが来てくれました。それから着陸地点の近くに空港にはJAXAの奥村理事長も来ていただいてですね、日本からも多くの皆さんが駆けつけてくださって、無事にミッションを終了することができました。


日本人初のISS船長として思うこと

今回、「和」という文字を長期滞在を紹介するミッションワッペンに描かせていただきました。ミッションに挑み、ISS滞在の後半で船長任務を担当させていただきましたがその背景には、やはり日本に対する宇宙技術、その分野での信頼感が非常に高まったということがあると思います。


これは、星出宇宙飛行士が撮影してくれた写真ですけれども、「きぼう」日本実験棟、それから「こうのとり」というISSに物資を打上げる補給船、「はやぶさ」もありますけれども、日本の宇宙技術、全てのミッションをきちんと予定通り遂行しているということで、日本に対する宇宙技術の信頼感が非常に高まった。その背景があって、初めて日本人にも船長という任務を与えてもいいだろうということになったと思いますし、私がこういう宇宙の仕事をさせていただいたのはやはり多くの皆さん、日本の皆さんの総合力だと思っています。